見出し画像

日常的なワンネス経験の気づき方【気づきのシェア】

変性意識にならないとわかりようが無いワンネス体験の話ではなくて、日常にありふれたワンネス経験の取り入れ方について書いていきます。(全部ぼく流です)

1) 今ここに在る、空との狭間の意識


瞑想中に丹田に意識を据えて体の外30cmぐらいの光の膜で呼吸をします。慣れたらその空間を大きくしてみます。

すると、自分で呼吸をして空気が入ってくるのではなくて、空間意識の方が自分で、その中にこの自分と言う姿形をした小さい者がいてその自分に空気を送り込んでいるかのような気になって来ます。視点がひっくり返ってますね。

空間意識が全です。そしてそれがここで言うワンネスの経験です。

(個々の意識が結集したものが集合意識としてワンネス体験を形作るとイメージするとイメージしやすいと思いますが、それももちろんありますでしょうが、ぼくの個人的な経験では違って見えています。)

空間意識の中にぽこぽこと自分とか他人とか言う現われがいてくれて、活動して見えています。それぞれにそれぞれのシチュエーションを動いているかのように伝わってきています。そこに入り込んで見ないからシミュレーション動作に見えてきます。

〇 空間意識のイデオロギー的解釈

空との狭間の意識。間を受け持つ意識。

空間意識と聞いてまず真っ先に思い浮かべたのがボックス(空間)を満たす意識のことで、その中に部分的な意識がポコポコあるイメージ。だけどそうじゃないよ。半分正解。

終わりがないから箱がない。あとの半分は、その箱をとっぱらったものバージョンの事。

時空間と言う意味の「空間」じゃないから注意してね。時空間意識じゃないので時空間を検知しないし、動かないよ、気が付いてるだけです。

※イデオロギー的解釈と言う事で、これだけが正しいと置き換えないで欲しいです。別の立場からでは別のイデオロギー的解釈が使われます。


2) 同時に、人は一人しかいません


もともとの起点となっている意識が一つしかないので、存在は常に1存在しかいないです。それが人として現わされている間は、人は一人しかいません。犬とか猫がいるなら、それも含めてある一つの存在の現われとしてそこにいてくれています。

意識が個々にあるのではなくて、その意識上に一つ一つ異なっている視座がいくつもあってそれでとらえています。意識は一つしかなくてそれは「在る」だけでした。それで、視座が複数あって、自我を形成するのと思考を介するので意識が個々に在るかのようにとらえているだけですよね。

人は一人しかいません。だけど、その人は(人タイプ心理由来の)視座を無限個数持てていますので、それと何か別の物を合わせれば、別々の人が同時に世界に生きていられているかのような錯覚を生み出すことに成功しています。

別の何かとは大きく言えば「エゴ」ですよね。個を信じている価値観です。信じる強さで個を演出しています。エゴが信じる強さが若干緩まってくると、全体に到達してしまうので手綱を緩めなてしまわないように持てています。自分と言う個をこの地上で経験したいがために、そのエゴを手放せず握りしめています。

うまくいけば、同一の生でエゴで握りしめていたその個を卒業して手を離せることで、するりとほどけて別の価値観に気づいて見上げます。それが次元上昇だと言われ方をしています。



3) その都度、ちゃんと新規のことしか起こりません


常に新規のことしか起こっていません。だから本質的には飽きるという事が起こり得ません。飽きたと言う口実で次のチャレンジに目を向けさせることはありますけどね。

今吹いた風は初めて吹いた風です。今吸った空気は初めて吸った空気です。今見たノートパソコンの画面は初めて見た場面です。それまでに起こったことと関連づけられ無い新規の物事しか起こり得ません。とらえ方によってはこれを『奇跡』だと呼ぶ人も中にはいらっしゃいます。(見方によっては、シミュレーションベースのハクスラ要素といえます。)

繰り返しに見えるのは周期があるからです。周期はありますが、寸分たがわずに以前と全く同じに繰り返すことは出来ませんので、一度も過去を繰り返したことはないし、今後も不可能です。どこかが何かがいつも違うという事ですよね。でも、心情的には変化幅が小さくてわからない事から、同じことの繰り返しに感じてしまいます。そこから一歩出る勇気を醸造して待っています。大きく動き出せるまで感情が高まれば、一気に出ます。

逆にいうと、出たんだと思うことはできますが、出ても出るところなどなくて、いつもこれまでと全く同じ場所(今ここ)にいるので、今ここに在る、今ここの在り様の理解に努め理解し、それを愛する/愛でる、そちらの方がより良い、という信条に成れるまでに高めたなら、もう満足してそこから出ようなどとは勘違いしなくなります。(つまるところ、過去に意識を向けたり、未来に逃避行を辞めています。)

出たためしもないし、出れる場所も無いからですよね。いつも「今ここ」の「今この時」にいます。今ここで常に新しく、新規のことしか起こっていません。ちゃんとそちらに目を向けてみます。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ここまでの話はよく聞くことがある話なのでいろいろなティーチャーが同じようなことを言っていますので何度も聞けば理解できると思います。知的な理解ですけどね。感覚的な理解は後でちゃんと付いてきます。

では、ここからはぼく的矜持のアピールタイムです。説明に個性(ぼくっぽさ)を出して行きたいと思います。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


4) レイヤーを分けて紐解く


これまで書いてきた、1)、2)、3)の小話は以下の図で示すと一元性に焦点を絞った話でした。または、良くて非二元までですね。その時!生物相とか下位のレイヤーでは単純にシンボルだったとしか見えてないと言う事なのです。経験の場(遊び場)と言う呼び名の「見せる化、見える化」(シンボル化)ですよね。どこを切り取っても「抽象」なのです。このポインツわかりますか?

具象的解釈に慣れ親しんだ視座がドリフトスリップをしてシフトしちゃったものだから、もうどこを見ても、何を切り取っても『抽象シンボル』に見えている、と言う視座のことです。良い悪いじゃなくて、新たな視座だと言う意味です。

話はうって変わり、

一元性と非二元性と二元性はどこか別次元の別のところの話じゃなくて視座の違いです。意識が進化するから開眼するんだと言う物差しの範囲での話じゃなくて今ここに同時にあるけど焦点を掴めてないから気がつけないだけですよね。お笑いのコツとかツボがわかっていないと一緒にアハアハ楽しめないと言う例えに表せる解釈です。

それだけの違いなのですが、視座が違うと、つまり指して見ているレイヤーが違うと同じ物事が真逆とか別の解釈に置き変わるというとんでもなくすごい仕組みになっているんですよね。一粒で3度おいしい的な。

なので常に自分に向かって起こる出来事は1つのことしか起きていないと捉えられます。これも一元的な視座ですが。(今書いたこの通り見えて欲しいと言う意味じゃないですよ。ぼくにとっての沢山同時にある理解の一側面の映り方です。)

何か今自分に起きた出来事は常に1種類の経験で、その尺度とか、解釈とか視座、意味付けが毎回複数個あります。

単一の決まり切った視座に極論すれば、何が起こっても状況を一律にフル無視して「愛だ」と決め込むような事にも代表されます。全部をフル無視する事を決め込むのです。そんな極端なことは、もちろん通常しませんけど、その真逆はしたことがあるんじゃないですか?全部をネガティブに掴む方です。

全部の状況をフル無視してある決まったパターンに自分の理解を置く事です。例えば、怒り。例えば無視。例えば恐れ。被害者意識だとか妄想とか嫉妬とかもですね。誰かある決まった人に関して常にある決まった行為を返してしまった事はありませんか?その怒り狂った人を恐れていた場合などです。

上図をまた見てください。ここで指し示したいことは次のことなのです。

たとえ経験が1つだったとしても、自分が進歩してスタンプラリーのように各次元の卒業スタンプを押したとすれば、その視座を有効(ON)に出来ますので、もし仮に5つのスタンプラリーを押してある(クリアしてある)としたら、その5つの視座から同時にそれぞれ解釈ができます。一人の存在の中で完結的にです。

例えば、愛のレッスンをクリアしておでこにスタンプが押されているのでしたら、愛の視座からものが見えます。そういう発想、そういう視座、そういう解釈で現実を切り取ることが可能になっています。※第3の目とか言う発想じゃないですよ。冗談的なひたいに「肉」みたいな意味です。

逆に言えば、ステップをスキップしてスタンプが押されていなければ、その視座で物事をうまく解釈できずにいつも失敗してしまいます。中途半端な視座をご自分で塗り固めたような特注のもの(通称エゴのサングラス)をかけているだけで、おでこにクリアした証であるスタンプがぽんと押されているわけじゃないので模造品の見え方を使います。それしかできないから仕方ないですが。

だからこそ、簡単に師事する事が可能となるように、各次元に専門職の先生がスタンバっていてくれているのですよね。そうすればそのスタンプラリー自体が継続的に楽しめそうですからね。自己流でしなくていいからです。目指している場所はみんな一律で愛なのです。それをしたいからする事で見せる化出来て楽しめますからね。


5) 元からあるたった一つの大きい流れ、善の流れに身を置く


善の系譜がありますが、それを理解しますよ。

・善性、悟性、ハーモニー(調和)、物性、仏性、神性、真性、
・感謝、思いやること、いたわること、愛すること、赦せること、顧みること、
・何かお手本があってそれを真似て上手になっていくこと、
・笑顔、笑い、いとしく感じていること。
・朗らかさ、全ての経験をゆるしていること
(思いつくままに列挙)

〇善き思い
スタート時に自分側に『(させていただいてる)感謝の念』『善き事』『善き思い』があればいい。それが神の本質です。神性とか真性のことですよね。

自由意志には1種類しかありませんが、各人に各通りの自由意志があるように映るからこそ、そこ(神の想い)から離れていくだけで、元々あるのは神の願いだけです。それは善き事、善き思い、善き愛の願いのことですよね。願いの先(後)に在るものです。

もとからあるたった1種類の自由意志とは、損得抜きで奉仕をするという神の御心、神の願いの成就、神の意思、神の意図、そういう一切合切を含めた神の念(想い)。ただこれがあります。灯台の灯の光ように、羅針盤のように、常に道を指し示してくれるものがそのことでした。正規のものに成るべくしてそれを感謝して選ぶこと。
(これが出来ているならばすでにそう言う神です。もう人の概念を超えてはみ出ていますね笑)

▽チャネリング

その自由意志から目を背けることなく、立候補として己自らそれめがけて邁進する事こそ、その姿勢こそが、何にも勝る神の行いについてである。

誰かに任命を受けたもう、とか、待っていれば変わってくれていくだろうとか、寝ぼけ眼の者どもが申すこと。

そこに義(ぎ)は無く。


〇 太き流れ

実際には神(クリエイター)はだれでも余すところなく全員がそれぞれ神です。ご自分の在り様を生み出せているのはご自身だけだからですよね。ですが、各種視座の行き届いていないクリエイションと視座のある時のクリエイションと両方がありますが、どちらが今の自分にピッタリくるでしょうか?と言う話を書きます。

上の話と関連してますが、スタンプラリーを省略してバイパス(問題回避)すると、そこで学び取れたであろう視座を学び取らずにスキップすることで、サングラスをかけたままクリエイトすることになってしまっています。通称「出来てるつもり」ですね。

愛のレッスンを避けているとその視座がまったく無いので、愛の視座が無い状況でクリエイトしたものには愛の視座が当然ありません。知恵のレッスンや、悟性とか仏性もまた同じくです。

(並行現実で学んだからスキップするというのは大丈夫でしょうが、もしそうならクリエイションするときの視座に結果が追い付いて行きますので、スキップしたにもかかわらず誰の目にも明らかに表現され得ます。つまり、もう学んでクリアしてあるのですよね。まだならその時その部分で学び取ればいいだけです。)


この章で伝えたかったことは、何のために地球に転生をして何をしているのか?の深い意義についてです。だれもこのようなことを伝えていませんのでぼくが伝えていますが、こういう事でしたよ。

  • 要は、意識のレイヤーによって目的は違ってきます(上位層の在り方で在れていますか?)

  • ぼく達のような高齢者は、若人たちに道を示そうよ(おのれ自ら立候補せよ)

  • 善の流れを進む道(奉仕への道)だよ

  • それは立候補制だよ(立候補せよ笑)

  • 各種中継点を通らないとクリアしそこなう面が出るよ。どうする?(立候補せよ)

  • 抜け道は無いからバイパスすると欠落した視座になるけどうまくごまかせないよ?(どうしたい?)(立候補せよ)

  • 全ての関所を乗り越えて進め!いざ参らん!(立候補せよ)


▽チャネリング

なぜわざわざ、苦しむ世界に身を投じたのかと言うと、そこで自身の成長を見てみたいからです。本当にそれが出来ているのかどうかです。出来るか出来ないかをです。

神が何の困難も平定された後の地上に降り立ち、いったい何をするというのでしょうか?(愛でる?愛する?それも確かにそうではありますが。)

困難な時期にわざわざ出向いて神のなせる技を披露したいという心情のその背後には、どんな気持ちが隠されていますでしょうか?


6) キリストのパラダイムを超えて



※この話は記事の最後の章で説明できない量の内容なのでやや入り組んでいます。要点だけ書いていきます。

本「宇宙を乗りこなす喜び1」で『キリストのパラダイムを超えて』P300をぼくは今ちょうど読み進めています。

この話は長くなるので書きませんが、かいつまんで要点だけを書きますと、

要点1:パラダイムシフトを経験すること

  1. 地球が平らだと信じられていた時代が終わり、地球が丸くなったのはつい最近です。その時古いパラダイム(地球は平ら)が終了し、新しいパラダイム(地球は丸い)にシフトしました。


要点2:キリストのパラダイムから別のパラダイムへとパラダイムシフトを経験中。今がその時です。

  1. 地球が丸くなった時のパラダイムシフトの例になぞらえて、2000年周期の現行走らされている古いキリストのパラダイムがあり、それが新規のパラダイムにシフトするのは今が旬ですよ。という意味です。今ちょうど2024年ですからね。西暦は間違っています。2000年周期のちょうど終わりに向かっています、と言う話です。

  2. キリストのパラダイムとは、救世主(神にはなれませんが右腕{仲介人}にはなれます)や神の子(神ではありませんがその子供なので、子供に罪はありません)に代表されている解釈です。ある見え方から見た時のシンボル、比喩、パラグラフ、ストーリー、パラダイム、心理的ゲシュタルトのことなので、ここではシンプルにしますと、そう言うシンボル的な解釈、価値観があると言うことをつかんで欲しいと思います。(難しい入り組んだ話はとりあえずパス!)

  3. それを超えると言う意味は、「別のシンボルに置き換えていってください!」と言う意味として受け入れたいのです。
    (約2000年続けたのれんを外すように、神の子キリストと言うシンボルを外して、別のものに置き換えます。次の2000年周期の始まりに今立っているからです。フェードインとフェードアウトのクロスフェードの時期です。)


要点3:新たな「無制限さのあるパラダイム」へと順次移行せよ

  1. そう言う視点で書きますと、次なるステップは成った後のお話ですよ。

  2. キリストのシンボルを超えてキリストになりました!神の子になり終えました!さあ、お次のステップはなんでしょうか?という意味です。

  3. その次のステップは「神」それそのものに進化する事が含まれています。が、もっとちゃんと言いますと、神というのはすでに手垢がこびりついてしまっていて余計な解釈とか制限がいっぱい含められてしまった解釈なので、一旦しまって「エンティティ(存在)」を目指しましょう!と言うことをここでは述べています。

  4. エンティティというのは、「存在を定義づけしない存在たちの総称」なのでその中に先ほどの神やクリエイターも含まれますが、より大きい解釈を使います。尚且つ、宇宙には無制限にどんだけでもエンティティがいて構わないので、「新種のエンティティ」をここでは副題に掲げましょう。

  5. 真新しい進化へのステップ「エンティティに俺はなる!」そして副題として「新種のエンティティ」になる道は開かれました。定義づけ出来ないからしない、タイプ無制限の真新しい宇宙存在達の事です。そちらに進化のベクトルを合わせて向かって行きましょう。少なくともぼくは乗り気です。

  6. 要は、単一の視座しか持たないようなクローン人造人間を増やしたいのではなくて、無制限の種類、無制限の視座数、無制限の入れご、の、固体化したエンティティ達を勢ぞろいさせたいのだ!という宇宙の目的が備わっています。複合的な視座とか価値観を醸造したすごいメンバーのことですね。源と対等な存在達を個性を保たせたまま、固体化したかったという事になっています。それが実際に実現されたとしたらものすごいチャレンジだろうという事です。


〇フィリップ

原初の思考(アイデア)、構想(ストーリーライン)、ホログラムは、あなたがたはみな無制限のエンティティであるというものです。 このホログラムが、あなたがそうなりえる完全なエンティティの生命力と知識を抱え持っているものだと思ってよいでしょう。少なくともいまのところはこれがあなたがたの進化の最終目標です

ここでは常時、 みなが周囲の視点やイメージから独自のホログラムを作っています。十分な数のあなたがたが原初の無制限のホログラムをクローンしてもっと作れるようになるまでは、十分には行きわたりません。みんなが同じもののクローンを作らなくてはなりません。その同じものに触れ、それを使い始めるのです。

(引用注 『1. 原初の思考(アイデア)』『2. 原初の構想(ストーリーライン)』『3. 原初のホログラム』はどれもぼくたちみんなとも無制限のエンティティであると言っています。そういう生き様を実際にして、自分独自に作っているホログラムを置き換えて(アップデートして)行きましょう、と教えてくれています。)

宇宙を乗りこなす喜び1 P323

人は一人しかいません、また犬も一犬しかいません。猫も羊もキリンもまた同じくです。ある見え方のシンボルを指し示しているだけなので、個別化をしているのはその個体の中だけでです。(識別者の識別できた範囲内だけです)

つまり何が言いたかったのかと言いますと、進化のベクトルを進むと自ずとその内面の視座全てを取り込むことになりますので、人間だけじゃなくて別の種、犬猫猿とかの動物種も含まれ得ます。霊とか元生物体だったものも全部です。意識は死なず、累積する類の経験値なので、精錬されて洗練します。

つまり何が言いたいかというと、新種のエンティティはそれら全ての価値概念を取り込んだ種になり得る、と言う理解なのです。それがここで述べたいことでした。

どうですか?聞いたこともない話ですが面白そうではないですか?

神というのはある意味ブロックがあるので、誰かが神になった途端、それ以外は神ではないみたいなふうに捉えれらガチになってしまいます。あるお手本を見せた、というだけなのにですよね。不思議なものです。あるお手本を見せて、それを神だと名づけました。待っていた神降臨でした。で、一つの見え方なのに、その神だけが答えを知っていてそれだけが唯一正しいと言う解釈、定義づけだと刷り込んでしまったのだから、その呪縛からその鎖から自らを切り離すことが難しくなりましたよ。

で、それはそれとして放って置いて別のラインを立ち上げました。それがここで述べた「新種のエンティティ達」という道標です。

フィリップによる正規の解説は以下の本2冊分あります。詳しい説明はそちらを手配して読みこんでください。

立候補してください、とはこの事を表していますよ。ストーリーラインの配役を設定してください。主人公は誰ですか?タイムラインがあるぼくたちはぼくたち自身が決定者、兼、実演者なのですよね。

このビッグウェーブに乗り遅れることなかれ!(冗談ですよ笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?