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高波動エネルギーの渡し方講座【気づきのシェア】


エネルギーバンパイアしてもた!

ぼくは以前、経験として人からエネルギーを奪う(と書くとちょっとあれですが)『エネルギーバンパイア』をした経験があります。

その時は心身ともに完全に疲れ切っていて、でも頭がさえわたっていて眠って回復したくてもできない状況でした。で、電車の椅子に座っていたのですが乗り込んできた目の前に立った親子の子供の方からエネルギーを頂戴したらしく、みるみる回復してすっかり元気になってしまいました。

ぼく自身は昔からエネルギーバンパイアはされることが多い印象でいろんな場面で疲れやすくて、弱っていたので、人様にそんなことをしていいはずはないと思っていましたよ。

なので回復し始めたのに気が付いた瞬間に何とか止めよう、やめようとしたのですが、一向にやめられず、結局寝て起きた爽快感まで完全に回復してしまい、逆に目の前の子供はお父さんに「疲れた~」と言っていました。こんなにも簡単に体力と気力が『体感を伴いみるみる回復していく』ものなんだな~と罪悪感と新たな気づきに驚かされました。その間わずか数十秒でした。

それが初めて人にエネルギーバンパイアをしたことでした。それからは(気づいている範囲では)一度もしていません。エネルギーの譲渡が起こりえるのだと自分の体験として初めて実体験しました。途中で自分の意志で止められなかったのは別の意思が働いていたからです。「経験するための経験」ですね。そういうジャンルとの出会いの場面です。

エネルギーの譲渡を模索

その経験を踏まえて、人に自分のエネルギーを差し出す方法をいろいろ試してきました。このエネルギーとは生体エナジーのことです。生命力のことで、寝て起きて回復する類のエナジーを渡す方法についてです。

ぼくはいろいろ試して一応マスターしたのかもと言う自己評価をしている所です。

ある時、母が亡くなり、家族みんなでドタバタでみんな限界まで疲れていた時のことです。

ぼくはみんながダウンしないように父と弟にエネルギーを渡していて、自分のエネルギーはかつかつで限界寸前でした。それは、父と弟に(その人なりの)死を悼む時間を与えたかったからでもあります。だから父と弟は人のエネルギーで動けているので自分のエネルギーを使い切ってからも動ける余裕があり、いろいろな準備をしていました。

話を端折って要点だけ書きますと、そういうことを何も知らない弟がぼくに対して一方的に怒る場面があり、OKわかったよと言う感じで、ぼくと弟につながるエネルギーのチューブを紫の炎をまとった剣で切り燃やしました。疲労困憊していたのは弟にエネルギーを渡しているからで、それを元の状況に戻したのです。

するとその途端、コンセントが抜けるかのように弟がバタンキューしてベットに潜り込み寝ました。父はそれを見て「よっぽど疲れていたんだな~」と言っていましたが、ぼくからすると自分が何をしてどういう結果になったのかを見せつけられてなるほどなぁと感じていました。

さらに、その時声がして父とぼくに繋がるチューブも切るか聞かれましたが、「いや、いい」と答えました。父は主役でしたのでダウンさせたくなかったからです。

この経験を通して、自分が人の乾電池になり、奉仕をするというやり方をまざまざと経験できたのでした。

「生体エネルギーを渡す」という書き方をしましたが、もっと具体的には自然につながるのでそのままを維持することを認めていた、どういう結果になるかを把握していたのでそれも踏まえてつなげたままにしておいた、です。

(それと書いていて今気が付きましたが、良いことをしていると考えていた都合から、弟がぼくに対してエネルギーバンパイア状態にあることを知っていてわざと放任していたのですが、かえってそれが、弟が疲れていて本当は休みたかったけどエネルギーが入ってくるせいで動かざるを得なくなり休むに休めなかったのかも?と今振り返って思いました。)

電車の話は15年以上昔で、弟の乾電池を解除したのは2年ほど前の話なので開きがあります。その間にいろいろな経験をしてエネルギー譲渡についてある程度把握していました。なのでこの体験はそれまでの集大成的な確信を持つにいたる決定的な経験でした。

光をプレゼントする方法

今までは生命エネルギーのチューブにつながるやり取りについてでした。人にコンセントを指すと自分の蓄電池に自然に充電できます。それがいわゆるエネルギーバンパイア状態です。

それとは別に光のエネルギー体を渡す方法もあります。例えば、よくあるのが光の柱を立てるというやつですね。

昔々新宿によく通っていたある時、霊的に世界樹のような大きな木が見えました。それでその後、瞑想中に世界樹が見えた場所に極太の光の柱を下ろすようなイメージングをして10年ぐらい後に新宿に行くと、その世界樹のような木が見えたところを眺める展望台みたいな恰好で新宿バスタが出来ていました。高速バスで降り立ったところがまんまそこで本当に驚きましたね。「おお!」そんなことがあるんだなぁと。

なお、光の柱を下ろしたからといって何かが現実化するという単純な話でもないですが、色々な要素が参考にされて決定者が決定してそこに色々な方が関われるのだと思います。それでぼくもその回に参加させていただいたのかもしれません。光の柱を下ろすのがすごいとかいう事もないです。実際に建てられる人、設計できる人、資本を出せる人それぞれできる人がいて出来ています。

後は名古屋の栄の地下街にエネルギーを置く散歩を楽しんでいた時期があり、これまた数年後に見て見るとその中心地になんかの広場的な商業施設的な場所が出来ていました。こちらは新宿のこともありそれほど驚きませんでした。

スカイツリーにも霊的にかかわらせていただいたのか、おそらくなにかしました。ほとんど覚えていませんが。しかし、出来上がってからは何回かエネルギーのアンテナとして使わせていただいた記憶があります。

ざっとしか書きませんがまだあります。
愛と感謝の光エネルギーを人に渡す方法をいろいろ試していて、ある時それがかなり自分の中でビッグイベントになった記憶があります。YouTuberとかTikTokerの初期頃から見させていただいています。むしろこっちが本業と言えそうなぐらいには、人にエネルギーを贈与することを趣味としてさせていただいてきたみたいなところもあります。世界には応援したいと思う面白い人がわんさかいます。また、エネルギー的な後押しが欲しい方は今も普通に大勢いらっしゃるわけです。

等々、乾電池として生体エナジーを譲渡する方法以外にも、生体エナジー以外の想念的な光のイメージングと体感を伴うエネルギーを譲渡することもできるし、その効果も現実世界に表れて「お!」と発見するとことがままあり、楽しかったよねというお話です。

各エネルギーを渡す意義と目的

ここまでは生体エネルギーは渡せるよ、というお話でした。
あと、生体エナジー以外のエネルギーも渡せますよ、というお話でした。

じゃあそもそもなんでそのようなことをするのか?できるのか?についての知見を共有しようと思います。

もっとも単純な答えは、それが楽しいから、楽しみだから、うれしいから、気持ちがいいからそういうことをしますし、できます。
そうじゃないならしません。

普通は人は自分が使うエネルギーは自分で用意ができるし、ハイアーセルフもいますので、困ることはありません。休めばいいだけだし、寝ればいいだけですからね。それを勝手に変えてぼくの各種エネルギーを勝手に送り付けるというのは相手のためにはなりません。が、それは条件によるともいえます。

ぼくにも都合があり、その都合を満たす形で人にエナジーを渡すのが良い場合があります。例えば、自分が健康でエネルギーがあり余っているときなどですね。周期的に感謝とか愛とか応援とかの気持ちがあふれ出てきた時とか、応援したい人に応援する目的で渡したいなぁ、受け取ってほしいなぁと思ったときとかですね。

半分強制して断れなさを利用して偽善を紛れ込ませた欲求を満たすとかそういう狡猾な話ではありませんよ。

自然な喜びがあふれて自分では使い切れないパワーがあふれた時に配りたいというお話です。そういう人がいても別にいいでしょう?

お金が死ぬほど余っていて、通りすがりの人が困っていそうだったらいくらでも渡すのに何の抵抗もないでしょう、しかし、その他のいろいろなことを考えて抵抗が生まれます。お金の場合には。

しかし、エネルギーの場合には誰にも悟られないので、必要としている人、叶えたい夢があるけど背中を後押ししてほしい人、困ってはいないけど受け取ってくれる人や場所と言うのは中には存在していて、そこめがけて送るか置いといて取りに来てもらえばいいので問題にならないと感じます。

そもそも論ですが、
ぼくにとってかなり当たり前な喜びとか嬉しさ感謝があふれている状況と言うのは、場合により、人によっては、またはその人の人生のタームによっては稀なことかもしれません。
なので、喜ぶきっかけを提供出来たり、思い出させたりする息吹的な意思とか意図(インスピレーション)と言うのはあってもいいものだし、自分が何かにチャレンジしていて助けてほしい時とか、手伝って欲しい時、単に見守っていて欲しい時とかにそういった喜びの目、応援の目がある人が流れてきたら、スムーズにいくと思います。自分の当たり前がその他の人の当たり前じゃないかもしれません。

なので、各種エナジーを配布する理由とか目的とかは結局これだ!となくても構わないと思います。好きだからする、やりたいからやってみて確かめてみるで良いと感じます。集合意識の中の需要と供給かもしれません。それで、ぼくのようにはまって大好きだからもっとしたいよ、となる人もいるかもしれませんね。

エネルギーの渡し方講座


各種エナジーを渡す意義と目的を書きました。
もっとも単純に言って、喜びがあふれたからその分をおすそ分けしたいよという事でした。

じゃあ次はどの様に渡せばいいのか?についてです。そもそももらってくれる人がいるのか?とか。

▽ エネルギーチューブの話

単純に言ってエナジーバンパイアで言われる生体エナジーは気が付かないだけでいつも渡しあっていると思われます。

人のオーラ場は体の外周のあるところから混ざり合っていて共通の意思疎通ができる仕組みだと思っていますが、そこでは自他の区別ができないのでしません。そこで生体エナジーをやり取りするのではないでしょうか?

もっと言えば、目線があっただけ、意識があっただけでさえ、何かしらのつながりが生まれてしまい、やり取りが発生し、そのやり取り自体がエネルギーを消耗したりする気もしています。お互いに高め合える関係、補え合う関係でないとしたらなおさらです。

身体を健康に動かせる生命エネルギーに関してだけでいうと、渡す渡さないというのはコンセントにケーブルを刺して蓄電池を充電するのに似ています。自分と言う蓄電池に他の人が興味を持ったり意識を向けるとそれだけでコンセントが刺された状態になるので、それをどうすればいいのかと言う事です。自分も誰にでも同じことをしていると思います。

それであげてもいいよと言う発想があるなら、コンセントが刺されてもある程度の許容範囲でエナジーバンパイア状態を許して放任しています。

だからぼくが分かるパターンで言いますと、紫色の炎を使ってチューブ(刺されたケーブル)を定期的に切る、という事だけですね。一番有名な紫色の炎を使いましょう。自分でいろいろ試してみるのが一番学べる方法だと思います。

紫の炎の話は所々で出て来てますので有名ですが、タイムリーに記事が出ていましたよ。

紫色の炎はセントジャーメインさんのほかにもミカエルがぼくの中で有名で、ミカエルを呼んで紫の炎をまとった剣で真っ二つにしてもらうイメージをよく使います。紫の消えない炎がチューブに燃え移って完全に燃え尽きるのを見届けるところまでします。初期化ですね。

知らない間につなぎ合っていたチューブを介してエネルギーを双方向にやりくりしていたのを定期的に自分の意志で初期化するのです。他に誰かが代わりにやってくれないからです。

今している話は、エネルギー譲渡に関する奉仕の仕方はここから始めましょうという初歩の初歩です。まず自分のことができるようにしてから、次に余ったエネルギーを人に渡せたりするようにしましょうという2段方式です。基礎が分かっていないうちから応用である人に渡そうとしても理由もわからず2倍疲弊しそうだからです。

目に見えないエナジーについて憶測で手探りでやるよりも、わかりやすいところから始めた方が1000倍良いので、一番わかりやすいのは自分の体力と気力です。寝て覚めて回復するエナジーの付与と譲渡を学んでからその経験を使い、他のことをしましょう。

長年やっていてもぼくもパーフェクトにできるわけでもないので大体で良いと思っています。むしろわからないままの方が多いジャンルです。先駆者が分かりやすくはいないので手探りだからです。

外付け乾電池の話

エナジーバンパイアを受け容れて、自分の生命エネルギーを人に吸われ続けて行く必要は基本ありません。
好きならそうできますよ、と言う事ですね。全員がしなきゃならない必須項目じゃないと思います。意識的にしたい人はどうぞしてください、と言う事だと思います。

おそらく、自分が誰かの乾電池になりたいと受け身の姿勢を持つだけでそうなれると思います。ぼくはあまりこのパターンの経験が無いのでよくわかっていませんが、家族とかにはすんなりやっていると思います。あとは職場とかですね。親しい人にはつながりが持ちやすくなるとか受け入れやすいとかありそうです。フォローしたいという欲求を持つ相手には自然に様々な側面からフォローでき、エネルギー譲渡もそのうちの一つと言えるかもしれません。

しかし、すぐ疲れるので紫の炎で焼き切るのは毎日した方が良いと思います。そうしないと、別の人から自分が吸い取っているのに気が付けていないみたいな状況になると思います。

生体エナジーを吸い取るのはペットとか、赤ちゃんとか、植物とか、通りすがりの他人からとか、自分が動けなくなる寸前ならばなりふり構わないと思いますので、基本その人のエネルギーはその人が使う分なので勝手に使わない方が良いと思います。自然の中で療養するみたいに、自然の『群』からエネルギーを頂戴するとかはありだと思います。風が通っているパワースポットに行く的な。

その時も多くの人が一か所から吸い続けたらそこが枯渇しやすくなりそうなので、分散してエネルギーをやりくりした方が良いと思います。が、基本的には自分が休むことが一番大切なので、休めばいいのに休まずに動き続けようとすること自体ずれているので改めた方が良いと思います。

休んでいるのに疲れが抜けないのは、初期化していないからまだチューブがつなぎっぱなしで吸われ続けているからかもしれません。チューブを切って相手は相手の都合でちゃんと休めば、その人がその人の分のエネルギーで生きることを学べる余地が生まれます。勝手に供給し続けるのは違うという事かもしれません。

そういう基本的な事を知った上で、まだエネルギーを譲渡したい熱が冷めなければ、やってみればいいのではないでしょうか?

通常はしませんが、時と場合によっては、ぼくもそうしています。

▽ 光のエネルギーの場合

チューブを介して生体エネルギーを吸われたままにしておく方法を書きましたが、次は渡しても疲れないタイプの意思とか想念のエネルギーのタイプについてです。
このエネルギーは、周波数を合わせて共振共鳴で積極的にも渡せます。

個人的には瞑想の最中にエナジーが高まってきてとめどなくあふれてきたらそのまま配っています。どこに配るとかはその時で違いますが、基本は感謝しているところとか人とかに渡します。自分が十分満たされ切った後、余った余剰分を渡せます。その余剰分が結構多い、どんどんあふれかえってくる、だから配布して使っていただきたいと思う、そういう流れです。

余りに余りまくること自体特に何の問題も出ませんが、単純にそれを使ってもらった方が世のため人のためになると踏んでできれば使って欲しいよ、と言うスタンスです。いよいよとなれば地球全体を包んだり中から発光させるみたいに浸透させたりして昇華させています。

渡すと書きましたが、送る、置いといて持って行ってもらう、欲しい人取りに来てと言う、持っていってくださいとお願いする、等々、気分と思いつきで毎回変わります。そういう贈与や貸与のことをひっくるめて『渡す』と一語で表現しています。

身体をバイオリンのように振るわせて増幅して鳴らして(そもそも体は増幅器でもありますよね)、体から光のエネルギーを分けて(取り出して配布可能にして)、欲しい人にテレパシー的に呼んで受け取っていただく。光の塊をそのまま渡して「いつ使ってもいいよ。好きな時に使って欲しい」と言って渡します。「もっと持って行って。その10倍持って行って」とか言います。

人(か魂)相手ならこういう感じです。

次に、
光の柱を下ろしたり、光のオーブ的な大きな玉を置く(置き玉)場合には、共振共鳴して体をバイオリンのように振るわせてシナジーで増幅させて丹田当たりに光を増幅させるところまでは同じですが、それを場所をイメージしてそこに設置するイメージをします。どこに設置するのがいいとかは自然にその場面が見えるので気にしません。立体的な三角形の場合もありました。形は気にしていません。

こういう系はすべてフィーリングオンリーで、写実性は無ければないほどいいとも言えます。無形であればあるほどOKです。夢っぽければ夢っぽいほど良いという事です。現実創造がしたくてそういうイメージングを駆使しているわけではないからですね。意図と目的が違います。この場合の意図と目的は、自分の中の喜びが大爆発してその感謝のおすそ分けを皆にしたいからどうぞ使ってくださいというやり取りなのです。

〇 効果は期待しちゃだめ

効果は期待しちゃだめです。効果が出ることもあればうん十年先に出るかもしれないので気にする時間が無駄だからやめましょう。期待せず、放出したらあとはなるように任せるとうまくいきます。淡い期待も微塵もダメだと思います。これがコツかもしれません。配布したのを忘れるぐらいでちょうどいいです。

あと、基本のきですが、自分発の自分由来の努力とかの結晶だと捉えないことですよね。単に自分が宇宙の意図の出口になっただけだという認識です。身体を持つ自分がそういうエネルギーの表現を今できる状況にあるのでその通り出来ただけみたいな、よく言われている自分がエネルギーの通路になっただけ説だと思います。

〇 配布時の条件設定はあった方が良い

全身をくまなく使い、一つのオーケストレーションのようなバイブレーションを感じながら喜びを増幅させてハートか丹田から出てくるかのようなフィーリングで光のエネルギーを体外に発露させて、それをせっかくだから使いたい人いればどうぞと設置して置いておきます。

その時に、どういう人が受け取り手として該当するのかの条件を設定するのがおすすめです。

ぼくの場合は「過去4年間に一度でも感謝したことのある人全員」という条件で配布したこともあります。条件を設定しない場合に、思わない方向でぼくの喜びのエネルギーが使われたのを確認してあれあれ?となったことがありましたので、せっかくだけど条件にあった人にまずは配布したくて、もし残った場合に条件を緩めて広く再配布します。これも教訓でしたね。

〇 使い方に条件はいりません

エネルギーを配る時は条件に沿った方が受け取れるように配慮をして欲しいと思いますが、使うのはその人の都合を最優先してほしいと思います。自由にいつどこでどのようにでも使える方が良いと思います。お年玉と同じで貯金するみたいに何年先に使うでも構いませんが、その時はまた渡せばいいので残しておく意味ないかもと言えば良いと思います。魂には分岐とかの人生設計があるかもしれないので、もう渡したら渡したで全部その人の都合しだいにします。

〇 時流を使う

コツは増幅させることなので、増幅しやすい時期を逃さず行うことです。新月満月、秋分立春などなどなど、昔から行事とか季節の変わり目とかのお祝い事とかのエネルギーの切り替わる集まるような期間を有効活用しましょう。ぼくはバフ期間みたいにしています。

あと、おなかが満たされた時とか眠たくなった時とか、至福を感じているときとか、感謝を感じだした時とか、自分の内面の影響を逃さずそれを増幅します。増幅して体からあふれた分を提供しているわけです。

単に個人的な感覚として至福を感じているだけだと自分の中で完結して終わりませんか?それでもいいのでしょうが、趣味としてその感情をピンピンに(行けるとこまで)増幅してどうなるのか?を確かめようという事です。

増幅してみてうまくいき、あふれ出して来て体から出せるようにしましょう。そのあふれた大事な部分を上に書いたように差し上げたい人とかに貰ってくれませんか?と提供を試みるのです。

〇 元々あるところからもらう

今まで書いてきたことは自分の中にあるものをいかに提供するのか?と言う話でした。基本自分で使うエナジーなので、余剰分しかあげられません。なので、余剰分をいかに増やすのか?をいろいろ試行錯誤し、感謝と喜びで満たされ切ってあふれ出たらそれを蓄積しておいていつか一度に解放するみたいなこともできます。
その他、増幅して増やすとか、喜びを感じられる瞬間を増やすだとかいくつもの様々なアイデアでその余剰分を増やしたいよと言う事でした。

それとは別に、そもそものところで自分がやっているそういう事を他の存在がすでにしているのでは?それを融通していただければいいのでは?という発想などもできますよね。

そうです。銀河の中心のセントラルサンからエネルギーを引いてきて、地上に固定すればいいのです。その時に銀河の中心のセントラルサンとクラウンチャクラと第一チャクラをつなげて鼻にあるセンサーを使って呼吸とともに引っ張ります。

こういう系(体感を伴う系)はかなり自分の内面の修練のたまもの的なテクの話なので先入観になりそうなので割愛しますが、あるところには十二分にあるエナジーをもらってくる引っ張ってくる、地球とつなげる、設置する等々アイデア次第で試してみてほしいと思います。これは川から水を引いてきて水がめに溜めて使えるようにするのと同じことです。

たしか、南新宿の世界樹のところに降ろした光の柱は、銀河の中心のセントラルサンからの光でした。自分でも気づいていない変な意図を紛れ込ませたくないのでこういう重要な局面に自分のエナジーは一切使いません。ただの無私無欲の純粋な光のパイプになるというバージョンです。(たしか)

人類の集合意識以外からでも、お借りして、明晰な意図の力と呼吸法で、引っ張る、繋げる、適切に配置できます。

エネルギーは使うと消えるので、賞味期限を設けたりの各種設定をします。

結局は霊との共同作業でする事からお任せで意図の明晰さを保って、こちらの言い分なしで執り行います。神事の素質のある方が、神事の一種として執り行いましょう。

チャネリング
昔は巫女とか神官、シャーマンが行っていた行事を、今は一般人として生きている方が行えるのです。

私たち(チャネリング元)がお手伝いさせていただくので、出来たら楽しいと感じませんか?一度試して欲しいと思います。誰に素質があるかはやってからじゃないと分かりにくいからとなっています。

どなたにそういう神事的な才が芽生えるか、私たちは把握してませんので一度行ってみて見せていただきたく思っています。その後、一緒に共同して連動させていただきつつ、事を運んで行けたなら幸いでしょう。


感想

ぼくは自分が大好きな『光のエネルギーの渡し方』を解説して見たかったので今回出来て良かったと感じます。個人的な秘めたる奥義ですからね笑。

こういう系の感謝とか愛とかの気持ちが高まって発露する系はだいたい周期的で毎日するようなことではないです。1年に数回程度かも?

光のエネルギーと生命エナジーとはちょっと違うけど似た物です。

『生命エネルギー』は単純に疲れるとか回復するとかの体力とか精神のお疲れ度を左右していると思います。寝ると回復しますよね。これは人に渡せます。

人に渡せると言いますか、普段誰のエネルギーで自分の体が動かされているかはっきりとは認識しにくくて、疲れたら寝る、起きたら回復するというシンプルな体感だけがあり、それ以上深く疑問を持たないものです。

それを渡しちゃおうなんて発想は普通は出ません。誰も言っていないからですね。そんなことをできるともしたいとも思わないからです。

なので、ごく一部の性癖の方だけがすればいいことだと思います。しちゃだめだという事も無いのでして確かめればいいわけです。ぼくはしていますよ。してみてどういう結果になるのかを自分で確認するのです。例えば、エネルギーチューブを繋がれた人の延命に貢献できると思いますが、果たして本当にそれが本当の意味で貢献で在れているのかどうか?とかですね。

それから、喜びで生まれたあふれ出た『光』を譲渡する、プレゼントするというのも普通は考えませんよね。でもこちらもしていいものだと思っています。

ぼくはかれこれ10数年以上はそういうことを好きで追求してきたのですが、喜びがあふれるので好きです。本当は毎日したいぐらいには幸せなことだと思います。こちらもしてみて自分で結果を考察するのです。本当の意味で貢献できたのか?はたまた個人的な(良いことだと思っている事をしたい等の)願いを投影して見える化したかっただけなのかどうかなど。

興味がある方はためしてみませんか?

いろんなエナジーを渡す、プレゼントするという在り方についてでした。

光を見るとかイメージするとかはしている方は普通にたくさんいますけど、それを誰かが好きに使っていけるように提供できる人はどのくらいいるのでしょうか?

小さい範囲ならばぼく一人がカバーできる部分もありそうですうが、大きい範囲は対象外ですね。いろんな人がいろんな小さい範囲を重ねて大きな範囲にしていくと良さげです。

身体からあふれて取り出せた愛のエナジーは地形を変えたりビルを建てたり、ムーブメントを起こせたり、使う人の使い方次第で面白いことになると思いますよ。

受け取った人が自分個人の都合を満たすために使う事もあるとは思いますが、使う人が他の方々への奉仕に向いた使い方を選択する場合も普通にあります。

そうです。実は、渡す人を選んでいるというのは、自分(ぼく)の喜びがどのように使われて行って欲しいのかをある程度絞っているとも言えそうです。方向付けをしていると言えます。

ぼくが感謝する機会とか物や人達と言うのは基本人々へ奉仕しているからですね。そういう姿を見て共感して喜び感謝して気持ちがあふれ出たわけです。そういう方たちをさらに後押ししたいわけで、そのうえで必要であれば感謝と応援としてこのエネルギーを使って欲しいですと提供したいのです。

大きなイベント事とかオーディションなどを誰かがスポンサーとして引き受けてその他の誰かの人生が劇的に変わるのは良くありますよね。そのスポンサーがお金じゃなくて喜びの結晶を光のエネルギーとして配ってくれているとしたらどうでしょうか?

通貨では物理的な世界のお金でしか買えないものを買い与えてくれますが、中身である魂は喜びのエッセンスで動くと思います。

魂を揺さぶる揺さぶられる、魂の望みを叶える、叶えられるというのは通貨で出来ないので気持ちが担う部分だと思います。そのスポンサーに自分がなれるかもしれないという気づきと行動です。

立場を明確にして欲しいのです。どっちでしょうか?押す方か押される方か?押すなら提供する側で、押されるならば提供を受け取れる側です。どちらが優れているのかじゃなく、どちらが今の自分にとってふさわしいかどうかだけがあります。

この世界を一緒に作っていけるのはどの立場からでもできますが、どの立場からでしょうか?スポンサーからの提供を受け取る方か、提供をする側か?

ぼくはおのずと提供する側です。そのように気持ちの整理と準備を続けてきました。ぼくはそのようにふるまうのが好きで得意です。人に直接与えるというよりか、人に役立つものを与えてそれが自然発火して飛び火してみんなに行き着くそんな見え方があります。

それは動物的進歩をはるかに超えているのです。


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