意味付けが自然と外れている時がある
がんばって意味づけを外そうということよりも、意味づけが自然と外れている時があるからそれに気づいた方が早い。
何かに夢中になってて気がつくとお昼の時間だったりした時、思い返すと自分という何かはいなかった。
その時が意味づけが外れていて、現象として起こっている事に単に意味づけを全くしていない時だからスムーズにことが運んでいた。
後から思い返した時に感じたその感覚のことを、「あぁ、あれが現象と言われている感じだったんだー」とわかる感じ。
意味づけをしてないでスムーズにことが運んでいる時には、意味づけをしないので気がつけ無い。
ぼくの感覚では、超集中しているときとか、ゾーンのときとかには意味付けをしていなかったなあと後から振り返って気がつく、みたいなこと。寝て起きた瞬間とかも全く何も意味づけしていない。
ドッキリ大成功~!で頭の中まっしろとか、不意打ちに何言ってるかわからなくて一瞬思考が止まるという瞬間にも自分と呼んでいる何かはいない。
そういう意味付けを外そうという努力をしていない、人に本来備わる意味付けのない瞬間は意識していないだけで結構多いと感じている。
感情とか思考というのがとても遅くて後から付いてきているものだとよく分かると感じる。リアルタイム性に若干乏しいと言うか。
即時性が強いのは本能の分野な気がして、熱いやかんに触れたときにも思考を挟まずに瞬時に行動できるみたいなのは、いちいち意味づけしていないから速攻。