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脳から心が生まれる秘密

Eテレの再放送『こころの時代 心とは何か 脳科学が解き明かすブッダの世界観』を見て大興奮している。続けて3回見た。

(これは私のメモとしての番組の書きおこし文章です。長いです)

実体の存在論とプロセスの存在論という考え方があるという。
ソクラテス以前の哲学者ギリシャのパルメニデスは、実体🟰同一性という観念、同じであり続ける性質を持つものがあると考えた。根拠としては、物質の究極的な構成要素として、それ以上分解できない、同一性を保つ原子(アトム)の存在、これは原子論として19世紀まではそう思われていた。現在では原子は素粒子に分解でき、もっと小さなヒモ状のものにも物質できるらしい(ヒモ理論というそう。量子力学でのお話)
でも人間は死んでしまう。同一性を保ち続けられない。なので守ってくれる神が必要という理論。

プロセスの存在論という考えは、永遠に変化しないものは存在しない、起こることは全て変化し、壊れる、次のものに変化する。変化こそが存在というもの。

そこで仏教の言葉「諸行無常」と「諸法無我」を連想させる。
諸行無常とは、すべてのつくられたものは無常である、つまり、万物は常に変転してやむことがない。生成、変化、消滅のサイクル、刹那滅。
諸法無我とは、すべてのものは実体として存在しているものはない。
お釈迦さまは、一定・同一性を保つものがないことが人間にとって「苦」の原因だと考えたのではないか、と。

ここから話が少し変わり、混沌から秩序へという説明に入る。1960年代にローレンスという人が天気予報はなぜ当たらないのか、という研究をして、熱伝導からのずれ、対流の速度、温度勾配の3要素の気象データをモデル化した方程式の解を3次元空間での表すと、始めは対流(大気の循環)という無秩序な状態から次第に数学的構造、蝶の羽根のような形になっていく。これをアトラクターと呼ぶ。自然現象の裏には複雑だけどデタラメではなく秩序がある。

複雑系の状態が秩序を持つと、意識が生じる。
カオスとは、周期で表現されている秩序と、
非周期で表現されている無秩序が、渾然一体となっている非常にきれいな構造のことだという。そして、古代ギリシャのカオス概念に近いらしい。天地創造のはじめの時に、カオスは秩序も無秩序もすべてを含んだ深淵だったとされる。

脳科学に話を戻すと、フリーマンという脳科学者が著した『脳はいかにして心を創るのか How brain make up theirs minds』、フリーマン理論というものがある。
脳から全身をめぐるニューロン細胞のネットワークは、目、耳、鼻、舌などの感覚器官から入る視覚や匂い、音、味などの情報、そして皮膚が感じる触覚など全身の情報が電気信号となり脳に伝わる。脳の中で、ひとつひとつのニューロンは独立しているが互いに情報を受け渡し作用を及ぼし合うことによって活動がまとまり、1秒間に数十回振動するニューロンの集団となる。それは脳のあちこちでそれぞれ自立して行動する。これをカオスアトラクターと呼ぶ。それらの集団どうしは互いに影響し、辺縁系を中心とした脳全体を巻き込むひとつの大きなアトラクターに統合される。

辺縁系🟰意識に届かない 無意識レベル
新皮質🟰意識レベル


これを大域的アトラクターと呼び、これこそが「気づき」であるという。
カオスからアトラクター、大域的アトラクターに至る、生成と消滅を繰り返すサイクルは1秒間に10回だという。そこで、連鎖する「気づき」の流れが私たちの「意識」に他ならないと考えた。
それにはインテンション、志向性が関与し、どっちの方向に行動するかという意志を持って行動することで、いろんな感覚器官から情報が入ってきて知覚する。その時にこうかなという「気づき」が出てくる。気づきの連鎖が「意識」というものにつながる。

辺縁系🟰意識に届かない 無意識レベル
新皮質🟰意識レベル
意識と無意識が相互に連絡、作用する、その総体が心であるという。

カオスがある一定のレベルに達すると全体が1つの周波数に変化する。全部のニューロン集団が同じ40サイクルのγ波(ガンマ波)になる。γ波に収れんされるということは、生体が有する混沌から秩序へという自己組織化の現象である。
つまり40サイクルになる、ということがアトラクターの形成ということ。

辺縁系で同じ遷移を回して最後に海馬、内嗅皮質に到達して統合される。記憶になる。
脳の働きとしてはそれ以上の物を考えることは出来ない。
ゲシュタルトをベースにした、1つの対象についての印象、イメージ、表象。それが「気づき」。
そこで初めて物理的なものが心に結びつく。
それが心的なものになる根拠だという。

そこから話は仏教の世界観へとなる。プロセスの存在論(生じたものは滅する)はお釈迦さまの教えに他ならないと。

循環する心の働きを、お釈迦さまは「十二支縁起」で、無明から縁起の理法を順序に従って考えられた。それはこうだ。
 無明によって生活作用があり、
 生活作用によって識別作用があり
 識別作用によって名称と形態とがあり
 名称と形態とによって六つの感受機能があり
 六つの感受機能によって対象との接触かあり
 対象との接触によって感受作用があり
 感受作用によって妄執があり
 妄執によって執着があり
 執着によって生存があり
 生存によって出生があり
 出生によって老いと死、憂い、悲しみ、苦しみ、愁い、悩みが生じる。
このようにしてこの苦しみのわだかまりがすべて生起する。

「十二支縁起」とは次の12項目であるそうです。
・無明 カオス 混沌 天地の始まり
・行 志向性 
・識 形を持った心的プロセス 気づき
・名色 気づきの対象 ナーマ・ルーパ
・六処 感覚器官
・触 知覚の発生
・受 情動的な反応 快苦 良い悪いの判断
・愛 憎と対 自分のものにしたい 離れたい
・取 情動的な反応が習慣 生活 動物の状態
  執着 有情に共通する心のプロセス
・有 動物的に存在する我々が「有」を観察して
  抽象的な考え 愛 国 欲望 煩悩 
  ブッダの考え 動物との違い 「有」におい  て瞑想を経て抽象的観念を生みだすに至った。
・生 「有」のはたらきで精神的存在になること
・死 人間の死ではなく、脳内の大域的アトラクターの崩壊

死から再び無明に戻り、新たなサイクルに戻る。また「苦」は生きている間に生じて生きている間に滅するものと考えられた。
刹那滅(クシャーナ・クサニカ)とは、刹那に生じて刹那に滅する、存在は実体があるように見えるが実は刹那滅を繰り返している。刹那とは75分の1秒くらいらしいです。
生死(しょうじ)とは、思考の回転、循環的回転、
それから「無明」、いったん頭の中が空白になるというプロセスという。フリーマンの理論はこの「十二支縁起」を円環として考えているらしいです。
確かにフリーマン理論の脳とニューロン細胞のネットワークからのアトラクターの形成、消滅までの流れは、お釈迦さまの「十二支縁起」と同じに見えます。

数学者の先生は、カオスが生み出す人間の自由意志についてこんなふうにお話されました。
カオスが方程式の解として存在しているというのは事実で、そうなるとカオスアトラクターの上では、初期値が少しずれると全く違う未来になることも保証されるのだと。つまり、方程式は決まっているが、起こる現象は必ずしも決定されない。
神は方程式を作ったかもしれませんが、その中で起こっていることは人間にとって自由度がある。
決定論に従っているが、自由意志が必ずある。それを裏打ちするのがカオス現象であり、カオスアトラクターである。カオスが存在すると人間が理解したことで救われている。決定論は怖くない。
決定されているかもしれないが実は決定されていない世界で生きることができる。

最後にお釈迦さまの最後の教えを
世の中のものは全て変わりゆく
あなたたちは怠ることなく
正しく生きていくことに努め 励みなさい
「プロセスの存在論」を認識して
変わるのだから諦めてしまえではなく
正しく生きることに どの瞬間も努めなさい

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