きりん堂「ご一緒にクリームソーダはいかがですか?」読書感想文
今回の文フリではほとんど本は買ってこなかったのだが、以前からうちの広報担当ナカスくんの友人でちょこちょこまたたび七転を買っていただいていたきりん堂さんの新刊「ご一緒にクリームソーダはいかがですか?」だけは買わせていただいた。
せっかくなので感想文としてまとめておこうと思う。
基本あらすじなどは割愛していくが、きりん堂さんはBOOTHでの販売もしているらしいので気になった場合は購入していただきたい。
「さびしさ」結城倫
この本は「別れ」と「クリームソーダ」をテーマに書かれているという。なんとも爽やかで切ない青春をイメージさせる題材だが、収録されている2作品はどちらもそんなイメージとは縁遠い粘っこさを感じさせるものだった。
それと同時にどちらも「書かないことで描かれる」部分の比重が重い作品でもある。
1作目の「さびしさ」は、「一見草食系に見える男の傲慢さゆえの後味の悪い別れ」を描くことで「最も罪深い男」を書こうとしているように感じた。正直かなり面食らった。
あのカバーから、まさかこんな作品が飛び出してくるとは。
主人公の盛岡くんは仕事への情熱もなく、友達も多分ほとんどおらず、恋愛なんて全く眼中にないというスタンスを取っているが、実はそんなことはない。美女に誘われたら普通にホテルに入るし、執拗にパンチラを指摘しては自分のズボンを履かせてマーキングする。
そのくせセックスしたり付き合ったりはしない。絶対安全圏から自分にとって都合のいい「恋愛っぽいところだけ」を味わっている。
このあたりの描写がものすごくうまいな、と個人的にはかなり感嘆した。
結局のところ主人公にとってヒロインは「何の代償もなしに男としての満足感を与えてくれるトロフィー」でしかないのだ。
だから女友達として遊びに行くことはできてもセックスはできない。なぜならそれはメンヘラの人生を背負うことになるから。
それに上司がヒロインを狙っているのを知っても止めたりしない。それはヒロインが自分のものである=彼女であると主張することとニアリーイコールだから。
なんならヒロインが上司に抱かれたことと主人公に振り向いてもらえないことを原因に職場をやめようとしているのに、「僕には本当に分からないんだ」などと言って耳をふさぎ目をつむる。踏み込んでしまったらヒロインがトロフィーではなく一人の人間に(主人公の中で)なってしまうから。
つまりこの主人公は愚かであることで自己防衛を図っている。
こういうずるい男の描写ができるのは本当にすごいと思う。もし自分が同じような主人公を書こうとしたら、多分どこか地の文で自分の狡さについて葛藤をさせてしまうだろう。だがそれをしてしまうと主題というか、最もパワーのある部分がずれてしまうことになる。
この作品では最後の最後まで、主人公はヒロインのことを考えない。徹頭徹尾「ヒロインが自分のことをどう思っているのか」「ヒロインの出現と退去によって自分に何が起きるのか」と考えている。そしてそれを「性欲のない草食系男子」という皮で包んでいる。
周囲の人間は彼を糾弾することはできないだろう。なぜなら彼は「何もしていない」し「何も知らない」から。
ジョジョで言うなら「自分が悪だと気づいていない最もどす黒い悪」というやつだ。
それを意図的にデザインできる才能が羨ましい。
惜しむらくはこの結末へもっていくために、ヒロインが途中から完全な作者の操り人形になってしまっている点だろうか。
登場してすぐの会話はちゃんと人格があったのだが、主人公に喫茶店に誘われたあたりからは、これから先の展開のために動かされているだけになってしまっている。
例えば彼女にちゃんとした人格があったとしたらいきなり職場の人間に誘われたとしてもこんなに嬉しそうにすることはないだろう。むしろ「また身体目当てか」とうんざりしながらも諦めたようにデートを受ける、というのが自然な気がする。
あるいはいきなり惚れさせるのであれば、主人公がたまたま一人で喫茶店のクリームソーダを食っているところに遭遇する、とか。
それにヒロインは恋愛経験が豊富なのだから、主人公が優しく見せているだけの自己愛の塊であることは見抜いてしかるべきだ。その上で例えばめちゃくちゃブチ切れて主人公を刺し、主人公が意識を失っている間にどこかへ雲隠れしてしまう。だが主人公はヒロインを恨めずずっと繋がらない電話をし続ける、みたいな、なんとなく倒錯感のある方向へ持っていけたらよかったのではないだろうか。
「手帳をなくしただけなのに」馬場ナナ
2作目の「手帳をなくしただけなのに」はタイトルからのミスリードがうまく効いた良い作品だと思う。これはあくまで感想文なのでがっつりネタバレするが、なくしたという手帳がまさか母子手帳でしかも心無い旦那に捨てられた、というのはすごくパワーのある冒頭だろう。これだけでかなり引き込まれた。
しかもこの作品もしっかりと書かないことで深堀りさせる余地を残している。具体的には主人公側から見た旦那や、生まれてこれなかった子供への感情の部分だ。
まず主人公から旦那への感情についてだが、主人公が旦那から子供産むための道具として扱われたという話は書かれているものの、では主人公から見て旦那はどういう存在なのかについては書かれていない。馴れ初めがどうだとか、最初の印象からどう変わったとか、要するに主人公がなぜその旦那と結婚したのかが全く分からない。
主人公の恋愛絡みの話は唯一、後半での親友とのやり取りのみである。
このことから主人公が本当に好きだったのは親友だけであり、おそらく主人公も妥協の末になんとなく収入が良かったか外面が良かったかで結婚相手を選んだのだろうと想像できる。
もちろんそれでも結婚まで行くのだからちゃんと好意は持っていたのだろう。「愛を感じるために」旦那に結婚理由を聞いたり二股の疑惑について問い詰めたりはしている。
だがなんというかーーヤバい旦那の言動に冷めきったあとのシーンからの回想だからというのはもちろんありつつもーーそこまで旦那のことがそもそも好きだったようには見えないのだ。
なんだろう、出産マシーンとして扱われても表立って反抗しないあたりが逆に熱量の無さを示しているような気がする。
そこで主人公から見た、生まれてこれなかった子供の感情について。
こちらもまず、あたりまえに自分がお腹に抱えて育ててきた子供だから愛情もあるし、生まれてこれなかった=産んであげられなかった絶望はあるだろう。
だがその親が誰かと言えば、子供にしか興味がないクソ旦那である。
望まぬ子供ではないにしろ何かしらあの旦那の子を宿すということに蟠りがないはずがない。
子を流産したことへの非現実感+旦那との蟠りがノイズとなって、冒頭の主人公は正しく悲しみを抱けなかったのではないか。
そうして主人公は同じく「出産」に対して呪いを課せられた親友と数年ぶりの再開を果たし、セックスによって「肉体の所有権は誰でもない自分にある」と諭されて正しく子の喪失を悲しむことができた。めでたしめでたし。
……なのだが、個人的には主人公が親友とやってしまうのは正直いかがなものかと思う。そりゃあ好きでも何でもない冷めきった旦那相手とはいえ、結婚して妊娠までした直後だ。
そんなタイミングで女同士とはいえ元カノ(?)と再会してセックスしてしまったら、普通に二股未遂のあった旦那よりやばいことしてんじゃんってならない?
子供ができないんだからいいでしょってことなのか? 個人的にはむしろ純愛度が高すぎる上にセックスまでされたから「だから結婚失敗したんじゃね?」と余計なことを考えてしまった。
例えばこれが「学生時代の親友で無精子症の男」とかだったらどうだろう。普通にアウトだ。
もちろん男女で持っている属性が違うのだから置き換え可能なわけではないのだが。
ただラストが「母親として正しく別れを悲しむこと」なのであれば、親友に誘われた時に「自分は産めなかったけどそれでも母親だからそういうことはできない」と突っぱねてほしかったような気がする。
いやまあただの願望なのだが。
他に気になった点として、親友の楓子の造形がものすごくしっかりしていて、なんというか解像度が一人だけ異様に高い。そのせいで正直主人公よりも頭に残ってしまった。
明らかに作者の愛がめちゃくちゃに注がれているので、それをもう少しうまい具合に分散させてあげられると全体のバランスが良くなる用な気がする。
あとタイトルはキャッチーではあるけれども、正直パロディなので最後まで読んだ時に「本当にこのタイトルでいいの?」とはなった。
特に引用元である「スマホをなくしただけなのに」はスマホに入ったそれぞれの秘密から人間の愚かさが暴かれていく現代風刺的な作品なので、綺麗な方向にもっていきたい作品のタイトルとしてはあまり適していないんじゃないかなあと。
インパクト重視か内容との適合性重視かは結構考えどころなので。
全体として
最初にも書いたが、爽やかなタイトルとカバーからは想像できないドロドロな感じの作品だった。例えるならアイスが溶けて炭酸も抜けて色が濁ったクリームソーダ。
このギャップはなかなかの衝撃だったので、ドロドロが好きな人はぜひ読んでみてほしい。
あと読み間違いとかしてたらごめんなさい。
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