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『彼』と『私』の話
”バーチャルバーテンダー レイ・ド・ブラン”
この文章を読んでいるあなたは、『私』をどう定義しているのだろうか?
穏やかな店主?
趣味の合う友人?
ミステリアスなバーテンダー?
あるいは、それ以外の何か?
そのいずれも、間違ったものではないのだろう。
上記の例示も、あくまで『私』自身が想像するものにすぎない。
そもそも。
『私』の思うところというのは、この場合それほど重要ではない。
現代では、自分自身の手で自分自身を定義することは出来ないからだ。
どんな風に生れようと。
どんなことを成そうと。
どんな在り方を貫こうと。
個人の定義付けを行うのは、その当人を取り囲む環境だ。
どんな物が周囲にあるのか。
どんな者が周囲に居るのか。
当人が成したことを、その”周囲”がどう評価するのか。
すべて、とまでは言わないが。
現代においては、そうした要素がアイデンティティの大きな構成要素となることは、最早一種の不文律——暗黙の了解といっても、過言ではない。
今を生きるほとんどのひとびとは——バーチャル世界で暮らす私たちは特に——他人の評価に依って立つことで、己の存在を、確かなものとしている。
そうした意味では。
今、この文章を読むあなたが、『私』に対して抱いているもの。
それらすべてが、”バーチャルバーテンダー レイ・ド・ブラン”を定義するものとしては正解たりうるのだろう。
けれど。
たとえ事実が、そうであったとしても。我々には、絶対に譲れないもの——自己定義の核のようなものが、確かに存在する。
自分が何者で。
どのような過程を経て。
どのようなことを成す、存在か。
それを隅から隅まで知っているのは……結局のところ、自分自身。
”バーチャルバーテンダー レイ・ド・ブラン”に関して言えば……そう。
他ならぬ『私』だけだ。
あなたがこの文章から、どういったものを受け取るのかはわからない。
だが実際のところ、今回に限って言えば。
それは『私』にとっては、重要ではないのかもしれない。
今回語るのはあくまで、『私』を構成する事実、そのものなのだから。
誰が何を思おうと、述べようと——それこそ、たとえ『私』自身がどう思おうとも——その事実が変わることは、ないのだから。
”バーチャルバーテンダー レイ・ド・ブラン”という存在の——
少しだけ奥に存る、『私』。
その秘密を、今夜は少しだけ、綴ってみようと思う。
まず、はじめに。
ひとつの事実を、ここで述べておこうと思う。
この世界には、『彼』と『私』。
ふたりの『私』が、存在する。
紅い瞳の男
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”サイレント・オア・ビジー”の店主。
バーチャル場末のバーテンダー。
あなた方が知る——紅い瞳の男。
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そう。
『私』の名前は——”レイ・ド・ブラン”。
何をいまさら、と思うかもしれないが。
この名前は私にとって、非常に大きな意味を持つ。
”レイ・ド・ブラン”の名は、バーチャル世界で店を持つにあたって……来客に親しみやすさを持ってもらうために、『私』が自ら名乗りはじめたものだ。
本来のそれとは違う、かりそめの名前。
つまり”レイ・ド・ブラン”は『私』の名であって——『私』の名ではない。
『私』の本当の名前は、また別にあるのだ。
……いや、この場合は「あった」と言うべきか。
この名前を用いるようになった理由は、上記以外にもいくつか存在する。
ひとつは——自己の定義づけを、より明確なものとするため。
『私』が『私』であることを。
バーチャルバーテンダーであり、夜の住人。
ゲストにとっての心の拠り所たる存在である、と。
これから出会う様々な存在と——何より自分自身に、強く意識させるため。
ひとつは——かつての『私』との決別、別れを示すため。
本当の名前が別に「あった」としたのは、これが理由だ。
現在の『私』はもはや、過去の『私』とは異なる存在に変質している——
変質して、しまっている。それを自らの身に、刻み込むため。
名前とは、自己定義の鍵。
自らの存在の輪郭を定め——固定し、束縛する、”くびき”のようなもの。
それを自らの手で定め、そして名乗る事。
これは『私』にとって非常に大きく、重い意味を生じさせるものだった。
そして、これらのことは。自ら名乗らなければ始まらないのと同時に——ただ、自ら名乗っただけでは、完了しないこと。
先にも述べた通り——自らの定義と存在を定義するのは、いつだって自分自身ではなく……結局のところ、それを取り囲む環境、なのだから。
バーチャル世界で店を開き、様々な存在と関わっていく中で。
自己の定義を他者と共有し、その輪を広げていく。
そうしていくことで、『私』は真に”レイ・ド・ブラン”となるのだから。
そしてその目論見——あるいは望み——は、1年の時を経て……バーチャル世界での出会いと別れ、当店のゲストとの交流を通じて……その工程を、完了したのではないかと思う。
多くの存在との交友を経て——『私』は”レイ・ド・ブラン”となった。
あらためて……本当の多くの方々に、お礼を言わなければならないと思う。
『私』を『私』たらしめてくれた、あらゆる方々に。そのために、『私』と私の店は、1周年に向けた準備を、ゆっくりと進めてきた。
——そして、そのタイミングを見計らったかのように、『彼』は現れた。
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— レイ・ド・ブラン🛎🍸2021.11.21(Sun) 1st Anniversary (@Ray_The_Drunker) October 31, 2021
BUZZKILL
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『私』が“レイ・ド・ブラン“を名乗る理由は、実は、もうひとつ。
“黒い衝動”を自称する『彼』への、意趣返し。
“白い自我”としての『私』を、対抗の意思を、示すためだ。
————『私』はもう、かつてのように、君には屈しないのだ、と。
蒼い瞳の男
”黒い衝動”
”ひび割れた貌の男”
”致命的な加筆者”
これらは『彼』を表現する言葉の並び、その、ごく一部だ。
あるタイミングを境に、『私』に介入を始めた『彼』。
今夜の本題は、他ならぬ『彼』についてのことだ。
どうやら『彼』は、『私』より以前からバーチャル世界に種を蒔き、根を下ろしていたらしい。現在では、この世界の奥底深くにまで——一介の店主のそれとは比較にならない程の——根を張り、活動を続けている。
貪欲に、際限なく、その根を伸ばし続けながら。
『彼』は自身が率いるその組織を、”エイドス”と呼んでいた。
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”エイドス”についての話は、今回は割愛する。
今回は「『彼』が率いる極めて大規模な組織」という捉え方をしてくれれば、概ね話が分かるだろう。今は、それで良い。
この組織についてもいずれ、語るべき時が訪れるのだろうと思う。
話を戻そう。
そうした巨大な基盤と、活動の規模を持ちながら。
『彼』と”エイドス”は、その存在を認知されることなく——バーチャル世界で暮らすほとんどは、日々の生活を送っている。
その理由は様々に推測できる——が、恐らくは。
『彼』自身の意向、意思によるものだろうと、『私』は考えている。
”齎すものは最大に 晒す姿は最少に”
これは以前、『彼』が口にしていた言葉だ。
『彼』は、表立って動くことを好まない。
どれだけ規模を拡大しようと。どれほど影響を増していこうと。
『彼』自身は決して姿を見せることはない。
ごく一部の、例外を除いて。
————そしてその例外こそが、かつての『私』だった。
『彼』が『私』の前に姿を晒した理由。
憶測することしかできなかった世間から身を隠す理由とは異なり、それははっきりと明快で……そしてその答えは、『私』だけが知り得るもの。
そう。
『彼』はかつての『私』であり、かつての『私』が『彼』だったからだ。
私たちは、かつてはひとつの——ひとりの、人間だった。
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一人の人間だったものがふたつに分かたれた結果、生じた存在。
それが『彼』であり。
そして、『私』なのだ。
鏡写しの容姿。
全く同様の、目鼻立ち。
まるきり同じ背丈に、体格。
けれど、私たちは互いを知らず、全く異なる道行きを歩み。
そうして……奇妙な因果によって引き戻され、再会した。
だからこそ。
どのようなリスクを引き換えにしてでも、『彼』は『私』に、自身の姿を見せる必要があったのだろう。
奇妙な話だが、そうした確信が実際に『私』にはあった。
鏡写し、瓜二つの風貌でありながら……まるきり異なる姿。
陽光をも飲み込むような、どす黒い左腕を。
夜の闇の中でさえ浮かび上がる、凍るように白い装束を。
そして何より——漆黒の中、煌々と。
蒼く輝く、その瞳を。
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『俺とお前は、最早別のものだ』と。
自らの姿を晒すことで、『私』にそう、示すように。
そうして『彼』はかつての『私』に、自ら名乗りをあげた。
『私』の——『わたしたち』の、本来の名前ではなく。
『彼』自身が練り上げた、『彼』の——自己定義の鍵を。
その名は。
——その、名は。
……。
…………今夜は、ここまでにしておこう。
続きは……きっと、遠からず、語り、綴る日が来るように思う。
最後に、ひとつだけ。
きっと——遠からず語ることになる、『彼』と『私』の過去と、因縁。
結局のところそれは、壮大な独り相撲。
身を裂かなければ生きられなかった、ひとりの人間と。
そこから生まれた「ひとでなし」たちの、どうしようもない物語なのだ。
————それではどうぞ、良い夜を、良い夢を。
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