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私の『記憶』と『記録』の話
なんて使い古された、陳腐な表題だろう。
そう思いながらこのページをめくった人は、どのくらいいるのだろうか。
手垢まみれの古臭い表現。物書きであれば必ず一度は用いる、言葉の並び。
否定はしない。私自身もそう思うからだ。
けれど私は、私が名付けたこの表題を否定はしない。
この表題が欠くことのできないものだと、確信しているからだ。
これから語ることが、誰より私自身にとって、必要なことだからだ。
私がなぜ今――電子の海の片隅で、店主を営んでいるのか。
そこに至る過程と、私がこの姿になるまでの話。
そのはじめの章を、私はようやく、書き付けることが出来た。
けれど。
この「はじめの一歩」を踏み出すに至り……いや、踏み出したことで、私の中で、一つの確信があったのだ。それも——「けれど」で繋いでいることからも察しはついたかもしれないが——決して、良いとは言えないもの。
私が得た、確信。
それは———私は私がこうなった過程において、いくつかの記憶を失ってしまっている、ということだった。
では、何もかもを忘れてしまっているのか?
単刀直入に答えるのなら、それは違う。
なぜなら。
『記憶』は失っていても——事実への『記録』としての理解はあるからだ。
……これで表題の伏線は無事回収できたわけだが。
文章としては、実に不親切だろう。説明不足も甚だしい。
ここからは少し、言葉の定義も含めて、掘り下げた話をしようと思う。
記憶も記録も、「情報」であるという点は共通している。
そして、いずれも過去に関するものである、ということも。
ならば、その差異はどこから生じてくるのだろうか。
思うに。
記憶と記録の差異とは、「そこに誰かの意思が介在するか否か」、なのだ。
例えば——あなたが、ある大きな事件を目撃したとして。
それが目の前で起きるものとニュースで報じられるものとでは、受ける印象は膨大に異なるだろう。
その場の温度や湿度、雑音や喧騒、人々の息遣い。
どういった事件で、何が起こったのか。そうしたことはその場に居なくても知ることが出来るが、「事件の重要な部分」以外の情報は、その場に居合わせなければ感じられないものばかりだ。
そしてそれらは——――多くの場合、強烈に脳裏に焼き付いて、離れない。
それこそが、『記憶』の本質なのではないだろうか。
『記憶』には必ず、何かしらの感情が付随する。
喜ばしい記憶。悲しい記憶。楽しい記憶。腹立たしい記憶……。
どんな些細なものであれ、そこには観測者自身の「思い」がある。
対して、『記録』はと言えば。
淡々としていて、感情の入り込む余地は存在しないように思える。
先の例えにしても、報道から得られるのは基本的に、「数字に関わる情報」が主だ。それは大変に解しやすく———そして実に味気なく、淡白だ。
記録を見て一喜一憂することは、もちろんあるかもしれない。
けれど、記録自体が何かしらの感情を伴うことは、ほぼないと言って良い。
すなわち。
『記録』とは平板な、単一の「情報」そのものであり——―
『記憶』は、何者かの意思や感情というフィルターを通した『記録』、と言えるのではないだろうか。
『記憶』と『記録』。
この二者の関係は、以前私自身が語った『事実』と『真実』の関係に近い。
ここでは引用に留めるが、今回の場合———
『記憶』とは『真実』であり、『記録』とは『事実』、なのだろう。
さて。
この言葉遊びを終えたうえで、私が何を言いたいのか。
今これを読むあなたは、それをどう推理しているのだろうか。
端的に、結論から述べようと思う。
私は私に関する過去の、当時の感情を喪失している。
あるいは———単に、思い出せないままでいる。
ただ。
私は私の過去を、『記録』として知っている。
まるで、事件の記録を報告書で読んだかのように。
まるで、自分とは関係ない場所で起こった出来事のように。
まるで———―自分とは、まるで切り離されたことである、かのように。
けれど、それと同時に。
私のどこかで、「忘れるな」と……そう叫ぶ声が、聞こえる気がする。
記憶は褪せて、いずれは誰もが忘れてしまう。
悲しい記憶、苦しい記憶であれば、それはなおのこと早い。
けれどそうした負の記憶であっても……決して忘れてはならない記憶が、誰にだって必ずある。それはあなたもそうで、私だって例外ではない。
負の記憶を忘却に追いやるのが、生命の本能ならば。
「忘れてはならない」と叫ぶような、この思いは。
どこから、何が、誰が……生み出している、ものなのだろうか———?
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