米津玄師を好きになって少し優しい人になれたはなし
語彙力がある人を魅力的だなと感じます。
難しい言葉を知っているという意味ではなく、自分の気持ちや見ている景色を自分以外の誰かに上手に届けられる人。
例えば私の友人は
「彼と喧嘩して自分も怒った」ことを
「こっちもプンスカしちゃってさ」と言ったり
「ボーナスが入った」という事実を
「今とってもホクホクしてる」という言葉で教えてくれたり。
怒りつつ彼が好きなんだろうな、の気持ちも
ボーナスにうきうきしている気持ちも
なんだかとても伝わってくる。
思わずふっと微笑んでしまう、そんな可愛い語彙力をもつ友人と話す時間が大好きです。
さて、米津玄師さん。
推しです。唐突にどハマりしています。
ファン歴たったの3ヶ月である私が言うのも大変におこがましいですが、米津さんの語彙が好きです。
今回は難しい言葉を知っている。使う。という意味も含めた彼の語彙力。底知れない。
米津さんを好きになってから
彼の曲を聞き、歌詞を読み、喋りを聞き、
サラリと発する言葉の響きが綺麗だなと思ったり、
この言葉ってこういう使い方するのかと知ることができたり、正直初めて出会う単語があったり。
十数年振りに辞書をひいて
日本語ってこんなに美しかったんだ、、、と気付かされたり、なんというかわたし、、日本人で良かった!!
と語彙力なく思ったりしています。
彼の言葉選びってとても温かくて丁寧。
なので言わずもがな曲の良さも、
CDジャケット全てを自らで描いているという絵の才能も、まさかのダンスまで上手なことも、
逆に何ができないんだ、、、の魅力は底なしなのですが、
私がダントツに好きなのが米津さんの喋りなのです。
落ち着いたローテンポな話し方や歌っている時より低い声も含め、本当に魅力的で驚く。
特にかしこまった話し方をしている訳ではないのに、とても不思議な品がある。
たまに心をえぐられるほど、さらりと人の死や傷に言及することもある。
そして最終的に、優しく形容してくれる。
一体どれほどの経験と思考を重ねればそこまでの深さと角度から物事を見、語れるようになるのかと不思議に思いつつ、アーティストってすげえ、、とこれまた語彙力なく思っています。
YouTube公式チャンネルに「Talk」のセクションがあるのですが、ひたすらに彼の喋りを聞いてしまいます。
非公式に誰かが勝手にアップロードしてくれている個人の過去ラジオも、ゲストとして出演していたラジオも、とにもかくにも彼の喋りを聞いてしまいます。
人柄って隠しきれないものとして言葉の端々や語尾に現れる、と個人的には思っているのですが、
米津さんは人に、自分に、とても丁寧に向き合う人なんだなと思わされます。
うん。『向き合う』
少しマニアックなことを言うのですが、米津さんって「〜だけれども」を割と多用すると思うんです。
「〜だけれども」ってあまり話し言葉では使わないと思うのですが、いかがでしょう?
「〜だけど」でも「〜だけども」でもなく、「〜だけれども」。
少し硬く聞こえそうなのに、米津さんの使う「〜だけれども」は不思議とどこか優しくて、とても丁寧で、穏やか。
「〜だけれども」を耳にするたび心を掴まれている米津玄師の「〜だけれども」狂が私です。
「こんな意見もある。『だけれども』こういう考えもあってもいいよね。」
「世間の見解はこう。『だけれども』個人的にはこう思います。」
こんな風に聞いている人を優しく包み込んでくれるところ。
歌にも現れている周知の事実だと思いますが、米津さんの思慮深さと優しさだなぁと思います。
心が少しざらついた時、
なんだか思考がまとまらない時、
米津玄師の「Talk」を再生すると
なんだか時間がゆったりと流れ始め
生きていれば色んなことがある。
だけれども、
私も、周りも、きっと大丈夫。
そんな気持ちになるのです。
私も米津玄師みたいに豊かな語彙で話せたらいいのに。
だけれども、
ファンになる3ヶ月前の自分と比べて、なんだか少し思慮深い人になれた気がする。
そう思えるのです。
思考を一歩深くすすめられる
前より視野を広くもてる
少しだけ優しい人になれた気がするのです。
と、ここまで。
米津さんに対する好きを勝手気ままに書き綴ってみましたが、彼の魅力を語れる語彙力が私には到底足りない。
夢のような時間だった初参戦のツアー『空想』は
米津玄師、いた。
体の4分の3脚が占めてた。
歌、ばりうまかった。
以上が全力の感想です。
彼を愛でる語彙を身につけるべく、
引き続き歌もラジオも聴いていきたい!
どんどん深くなる米津玄師沼に、まだまだどっぷり浸かっていきたい!
なので願わくば「Talk」増やしてほしい。
「Talk」全然足りません。
ここまで読んでくださった方ありがとうございました!
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