BUMP OF CHICKENライブ「ホームシック衛星2024」を見て
ホームシック衛星2024 ライブ映像をやっと最後まで見た。
初めてのリバイバルツアー。
私は2008年当時はBUMP OF CHICKENの曲はラジオやレンタルしたCDで少しだけ聞く程度。もちろんツアーの存在も知らなかった。だから、リバイバルツアーというものに、その当時から応援している人たちのような熱量で感動できなくて、そんな自分が寂しくて、勝手にBUMPから置いていかれたような気分になって悲しくてツアーも応募せずにいた。そこから少しずつ彼らのライブから足が遠のいている。もちろん新曲もアルバムも聞いているし大切な歌もあるから、彼らの歌を聞かない日はほとんどない。それでも以前より少しだけ遠のいてしまった心は寂しいままだった。
だけどライブ映像を見ていけば、彼らの楽しそうな姿に自然と笑顔になるし、ドキドキするようなかっこいい音に惹きこまれるし、今の4人の音に、熱量に前と同じように圧倒された。
あぁ、何も変わってないな。
「あの頃の私」は生きるために必死になって彼らの音楽を聴いて、擦り切れそうな心を埋めるためにライブ会場に足を運んだ。もちろん彼らのことが大好きで夢中になって、ライブの時間はとても楽しいものだった。でも心はプラスにならなかった。擦り切れてへこんで、マイナスになった部分に彼らの音楽をどうにか埋め込んで、ようやく生きていけるような感覚。「あの頃の私」にとって彼らの音楽は命綱だったように思う。
ライブ映像を見て、あの時私を助けてくれた曲が、音が、彼らの笑顔が、今の私にまた会いに来てくれた。
どうしようもない悲しい夜を一緒に過ごしてくれたあの曲。
寂しいときに思いっきり寂しがっていいよと教えてくれたあの曲。
そこから前に進ませてくれたあの曲。
どっちを向いても光が見えなくて、息が詰まるほど苦しかったときに一緒にいてくれたあの曲。
自分を守るために大きな決断をさせてくれたあの曲。
何もかもやめてしまいたいと思ったときにそばにいてくれた曲。
そして今も変わらず未来をそっと照らしてくれるあの曲。
そしてどんな曲も懸命に届けようとする4人の姿も。
「あの頃の私」を助けてくれた彼らの曲は、今も変わらずそこにあった。
でも、生きるために必死に彼らの音楽を聴いていた「あの頃の私」はもういなくなったみたいだ。「あの頃の私」を懐かしく思える今の私がいるから。
だからいま、彼らの音楽から心が離れたような気がして少し寂しく感じたのかもしれない。変わったのは彼らじゃない、きっと私。
これに気が付けたのは必死で届けようとする彼らの姿を見たから。
今までも私を助けてくれた歌はライブ会場で届いたものばかりだった。CDとはまた違う。あの特別な空間だから届くものがある。
あのとき私を助けてくれたたくさんの曲たちは、何も変わらずそこにある。いつだってそばにいてくれる。何年経ってもずっと。
「一人にしない」そういった藤くんの言葉、気持ちは何年経ってもきっと変わらない。だって、もう何年もライブに行ってない私だって全然一人になったなんて思えないんだもん。
自分を掬いにきてくれた曲がある。この事実がどれほど心強いことか。そしてそういう歌はきっとこれからも増えていく。幸せな荷物になるはずだ。
また、彼らの歌に会いに行けたらいいな。