10年後の答え合わせ BUMP OF CHICKENの「邂逅」がくれる言葉
「大切なものがなくなったあと、どうなるのだろう」
漠然と思っていた。いつも考えるわけじゃない。時々、頭をよぎる。
どうなるもなにも…毎日は続いていくし、自分の生活があって、その生活も環境も変化していく。
頭ではわかっているつもり。でも心が納得しない。
「大切なものがなくなったあと、どうなるのだろう」
約10年前、弟代わりの犬を亡くした。21歳。大往生だった。
最後は数年は介護もした。その時、思いつく限りのことはしたつもりだ。後悔はないと言い切りたい。
その彼がきっかけでBUMPの曲を好きになった。とくにrayは特別な曲だ。rayの時だけ、彼は寝たきりの体でも目をパチッとしたり耳を少し動かしたりしてくれた。私の勝手な思い込みかもしれないが、きっと彼はrayが好きだったと思う。そして自分がいなくなったあと、私に残してくれたメッセージでもあったように思う。
ちゃんと寂しいと思うこと、ちゃんと悲しいと思うこと。それが前に進む力になると教えてくれた。めいいっぱい悲しんでいいよと教えてくれた。
悲しんで、寂しく思うことが先に歩いていく光となる。そしてその光の始まりには大切な存在がいつまでもいてくれる。
そう思って前に進むことができた。めいいっぱいの悲しさも寂しさも一緒に引き連れて。
でも、月日が経てばその悲しみも寂しさも少しずつ手放して、楽しいことに笑ったり、美味しいものに喜んだりできるようになる。時には大切な彼のことも忘れてしまうくらいに。
もちろんそれでいいと思う。いつまでも同じ悲しみの場所に立っている必要はない。悲しみの乗り越え方はこれでよかったのだと思う。
でも、なにか…漠然とした疑問が残る。
「大切なものがなくなったあと、どうなるのだろう」
月日に伴う感情の変化が知りたかったのか、思い出との向き合い方が知りたかったのか、自分自身でもよくわからない。自分自身が10年経った今、どうなのか言葉にしたかっただけなのかもしれない。
2024年4月15日。BUMP OF CHICKENの新曲「邂逅」がリリースされた。
まだひんやりとする早朝。散歩に出かけた公園。青空と桜の下で聞く新曲は、ボーカルの藤くんの声がどこまでもきれいで、でも強く祈り願うようで胸が苦しくなったのを覚えている。
そして改めて歌詞をみて、私が探していた言葉はこれだと思った。
ずっと探していた答えに、心を納得させてくれる言葉に出会えたような気がした。
「大切なものがなくなったあと、どうなるのだろう」
大切なものがなくなったら確かに孤独を感じるのに、実体がないからこそ勝手にそばにいると思うこともできる。勝手な思い込みでも、そばにいると感じることは私の勇気となった。そばにいると思って、勇気を出して前に進むことができるのは、大切なものとの思い出、過去があるからだ。
過去が未来を繋いでいく。
そして大切なものがなくなれば、どんなに時間が経っても心の穴は空いたままだ。その穴はそのままで、過去が繋いでくれた未来を生きていく。それは悲しみに立ち止まることではなく、大切なものがそばにいることを感じながら生きていけばいい。
頭ではわかっていた。
大切なものがなくなっても、悲しいことがあっても、ちゃんと悲しんで、その先に生活が待っている。でも、心がどんなふうに変わっていくのか、その先にどう向かっていけばいいのか。
rayを聞いて、弟がいなくなって約10年。10年経ってやっと答え合わせができたような気がした。
弟はこのBUMPの新曲を聞いただろうか。
きっとスピーカーの前に丸まって寝ながら耳だけ向けているんじゃないか。そんな姿が目に浮かぶ。姿も声も肌触りもなにも忘れない。
邂逅の最後はこう歌う。
きっとどこかで逢えるはずだ。
rayが大好きな弟に。
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