これまでの出来事を、精算するような夢を見た。
少し長めの夢を見ていた。
出てきた物事がどれも象徴的で、「これまで起こってきたさまざまな過去」を思わせる者達が一気に押し寄せた。
特に印象的だったものを書いていこうと思う。
それにしても、ここ一週間かなり疲れている。
ベッドが散らかり、電気をつけたまま気絶するように寝落ちるという日が続いていた。
こういう時期は、精神的に蓋をしていたものが露出しやすいのかもしれないね。
脳が、感情が、まるで苦々しい辛い記憶を精算するように、まるで抑えていた悲しみが噴き出すかのように、私は夢でそれらと向き合った。
■夢に出てきた幼なじみ
特に関わりもなかった別々の幼なじみ二人(片方は親友で、片方は1個下の懐かれていた子だ)が、私から離れた場所で仲良く行動していた。
最近、喧嘩して疎遠になっていた1個下の子からアクションがあったからだろう。
逆に、親友はライフステージが変わり、疎遠になっていた。まるで横並びにでもしたように、一緒に出てきた。
遠くにいるのは、どちらも私生活で近年接触がないからだろうな。
会って話せるのが楽しみだ。
■男性に腕を刺される
夢の中でやや湿っぽい街を歩いていると、バーから出てきたスカーフの男性に鞄を持ち逃げされた。
必死で汗の粒を落としながら追いかけると、相手は店内部のドア前で私の右腕を刃物で刺し、そのまま切断した。逆光で彼の顔は見えづらかったと思う。
その男性は、私が鬱になって完全に動けなくなり、顔を出せなくなったバイト先の店長に似ていた。そのままの顔だったかもしれない。
心身的苦痛を伴わなかったあたり、象徴的なものを無意識が表現したのだろう。
恐らく、当時から感じ続けてきた罪悪感、社会的な責任感...…自分への後ろめたい気持ちに私は蓋をしてきた。
それを無意識が開けてくれたことで、夢という形で向き合う事ができたのだろうと思う。
鞄を持ち逃げされるのは、私がしてきた給料泥棒な勤務内容の精算だろうか。対人恐怖が強烈であり、ブレインフォグであまりにも業務にならなかったことを覚えている。
右手は、左脳が司る側の手であり「社会性」を受け持つ部分だ。夢の中で店長に右腕を切断されることで、私は社会的責任と制裁をしっかりと身に負ったのだ。
気持ち的に楽になれたように思う。
■父の死体
夢の中で、私はだだっ広い和室で起床した。
奥は暗く、まるで開かずの間の雰囲気の襖をおもむろに開けた。
父の亡骸を思わせる、シーツに包まれた人ひとり分の静かな塊がそこには横たわっていた。
別のシーンでは、寝床はプレハブ小屋のような明るい部屋で起き、そこでは外にストーカーがこちらを伺っている感覚があった。
夢全体を通して、イメージはとても明るいのに不穏さが漂っていた。
これは父の死を、無意識が受け入れ始めたサインなんだろう。
悲しみが和紙にゆっくり滲むように、悲しみがじんわりと滲み進んでくる。
ストーカーされる夢の方を先に見た気がするので、「いまから心の痛いのと向き合わせるから、覚悟しなさいよ」、ということだったのかもしれない。
ああ、私は...…天涯孤独の身になってしまったのだな。悲しいなぁ、寂しいな......…。
■父と、父の死について話そう
特筆したい夢を幾らか羅列したので、ここからは父のことでももう少し書こうと思う。
昨年末の冬、父が亡くなった。
私は不安障害の強烈な恐怖のあいまって、父の葬儀に出向かなかった。
父の亡骸を目にしたら、精神がおかしくなってしまうと思った。ワーカーさんも、私の選択を尊重して優しく肯定してくれた。
父は優しく、神経質な人だった。
モラリストで、手先が器用で指がやたら長く、スレンダーで、洒落た服装をしていた。
いつも身綺麗にしていて、洒落たハンカチをこれまた洒落た鞄に忍ばせていた。
ジョン・レノンモデルの丸眼鏡を愛用していて、髪は年齢の割に完全に美しい白髪に色が抜けていた。
幼少期に交通事故にあい片脚を負傷しており、67年間だろうか、杖をついて歩いてきた。
その瞳は少年のようにキラキラと輝いて、もうすぐ70だというのに新しい何かを始めようとしていた。
その直後に、彼は脳内出血で倒れた。
ああ来たか、と思った。
彼は余裕がなく、不摂生や食生活の乱れが長期間見られた。最近になって野菜を摂り始めていたけど、時すでに遅しで完全に手遅れだった。
その後、病院のベッドでだんだんと人間らしさを失っていった。
私を「娘」どころか「人間である」とさえ認識しなくなっていく瞳に、私は精神的なショックを心の沈澱物として蓄積させていた。
父は私と同様、愛に飢えた余裕のない人だった。
幼少期は大人に囲まれ、職についた歳も若く、伴侶の母からはDVを受け、ひどく怯えていた。
拒絶されることを、「また裏切られた、愛されなかった」と傷つくことを、酷く恐れていたのだろう。
彼女の候補の女性は何人か確認していたものの、彼はいつも寸出で関わりを絶ってしまっていたようだった。彼は甘えたい矛先を見つけられないままその生を閉じた。
ただ愛されたいだけであったのに、持った家族さえも滅茶滅茶だったことは不憫でならない。
父は最後まで苦しかった。運に恵まれなかった。救いは無く、最期まで不幸だった。
それでも、足に障害がありながらも友人が絶えなかったことは私にとっても救いだった。
趣味も多く、晩年はPCをよく使っていたし、仕事で裁縫もしていた。美しいペンデュラムやワンドを趣味で自作して愛好家から絶賛されることもあった。
こうやって書くと才能に溢れた人だな。
父が亡くなったことを、もう会えないことを、半年をかけて少しずつ無意識が悟り始めていた。寂しくて、悲しくて、背格好が似た初老の男性をよく父に空見した。
生前できる事はやってきたし、余裕の無い私に出来ることもそう多くなかった。父もそれをだいぶ後になって、わかってくれた。
ただ、もっともっと愛を伝えられればよかった、と。
私は十代をほとんど施設で過ごし、父と一緒に暮らした時間はかなり短かった。
だから血の繋がった他人のような距離感だった。
私はどうやら父をちゃんと愛せていたようだ。いま、書いているこの瞬間、また涙が出た。
相互さんの安否がきっかけになったのだろうな
すごく大好きな相互さんがいて、その人も生きてくることがしんどくて自殺未遂を繰り返してきた。
彼女は、自分の身体はもうボロボロだと言っていた。
最近はとても暑い。人を殺す暑さだ。
彼女は通常より低浮上になっており、私は彼女の安否が気になって仕方がなかった。
彼女の家庭環境や肉体の限界から、自殺ではなく「父と同じ望まない死」に身を渡してしまうのでは、と私は恐れていた。
父の夢は、この恐れが引き出したものでもあるのだろう。
いまの生活が尊い。大切な人たち。失いたくない。...…ううん、いつか必ず失うんだ。早かれ遅かれ。
だから、今精いっぱい向かい合って、心を通じ合わせるんだ。愛を伝えていくんだ。
後悔がないように。