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[生汁日乗]納めゆく:2024年12月29日(日)


晴れ。


私も草臥れたのだろう。今朝は、幾らでも寝ていられる感じで朝寝坊。子供らは朝ご飯、銘々に食べてもらう。私自身の朝食は、かなり昼に近くなってから、卵かけご飯とお味噌汁を。


Tは熱を出して寝込んでいらしい。


お昼を子供たちにサーブし、洗濯機を回したり、奈良の記録をテキストで整理したり。


少し遅めのお昼にナムル丼を食べる。


午後、テキスト整理を終えて、本読み。


武田砂鉄『マチズモを削り取れ』(集英社文庫)読了。

砂鉄さんの著書は初めてだったけども、「憤り」の本だった。世の中は本当に「マチズモ」に溢れていて、編集者のKさんと砂鉄さんは基本的にそれに対して憤っている。事実、シゴトもテレビも日常もマチズモだらけだと思う。そして、私自身も、アンコンシャスなマチズモにまみれて生きていると思う。

性差や性的な文脈を背景とした言動で周囲に害をまき散らすことは、とにかく良くないことだが、「男性」を軸としたそれが現状あまりに多い。本書では、その「過剰」さを論じており、そして「それは、男だけでなくて、どのような性を軸にしても同じだろう(=だから考えないで良いだろう)」という「言い訳」を徹底的に棄却し続けている。

まず、その「過剰」に目を向けて、気づくこと。そして、気づいた上で考え、その「過剰」を一人一人が手の届く範囲で「削り取る」ことから始めることが必要なのだと思う。

ちなみに、私事としては、自身のある種のマチズモを、一緒に暮らす歳月の中で、ある程度の範囲で気づかせてくれ、それこそ削り取ると様に矯正してくれ、そして今でも継続的に気づきをくれている伴侶に改めて感謝したいと思った。

そして、世の子供たちや若い世代には出来ればマチズモフリーな思考で生きて欲しいと、切に願う。

尚、終盤、「成果主義」の浸透がマチズモによって阻害された的な記述があったけれど、そもそも「成果」を「フェア」に評価出来る仕組みなんてそうそうない、と「成果主義」そのものに懐疑的な私は思うのだが、それはまた、ちょっと別の話。

武田砂鉄『マチズモを削り取れ』(集英社文庫)



夕刻、旅行のお土産を親族に届けつつ、Title詣で納め。辻山さんは不在だったけれど、相変わらずの珈琲の良い香りと、書棚に囲まれた店内に癒される。本を数冊求める。今年は買い過ぎた、一方、秋以降、明らかに本に向き空う時間が減った。一旦、購入を控え、読む時間をちゃんと整えたい。

Title納め



夕飯は、スウェーデンのお土産のタコスセットでタコスパーティー。スウェーデンは毎週金曜日はタコスってのが定番らしい。「疲れた週末、その日はメニューを考える必要が無いように」ーというコンセプトが何故かタコスで浸透しているという不思議な話。でも、実際そうらしい。

豚挽き肉と大豆と玉葱、あとトウモロコシをタコスシーズニングで炒める。あとは、サラダ菜とか、ウィンナーとか、ツナとか、適当な具材を、サルサを塗ったトルティーヤに包んでいただく。おいしい。おいしい。またやろう。

タコパ(たこ焼きではない)
美味い



今夜も暖かいお風呂にたっぷり浸かる。


星がとてもきれいに見えた夜。

星が良く見えた夜



カフカのページを繰りつつ就寝。

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