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[生汁日乗]『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』読了:2025年1月14日(火)


晴れ。

週明け、お弁当作りの日々がまた。朝は寒いし眠い。お茶を飲み、自分を起動する。

シゴトはなんだか、乾いた風が吹きすさぶ、荒涼とした土地を当て所なく歩むよう。やはりひたすらに、心が渇いて行く。もう少し、日々のギョームから、心を切り離さないといけない。

夕飯に炊き込みご飯とか鯖の照り焼きとか。

学費払い込み手続きなどの野暮用がてら、「今野書店」に寄る。

夜、本読み。


齋藤美衣『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』(医学書院)読了。
目を引くタイトルと装丁、紹介文で気になっていた一冊。年末訪れた、奈良の書店「ほんの入り口」にて話題に挙がっていたこともあって、年始に手に取る。
書くことで自分の内面へと、深く潜り行き、自分と出会い直す。その過程や出会ったものと向き合い、書き留める。
書くことで深く潜れたのか、深く潜れたことで書けたのか。
どちらかは、分からない。きっと、両輪なのだろう。「書く力」と「内省する力」の両輪が相互作用しているような気がする。
著者は、自身の壮絶な重量の自己開示を通じて、読者へ語りかける。読者は「読む」ことを通じて、「その力」に「触れる」ことになる。
それは、「伝えたい」という強い想いが筆に乗っているからこそ、届くものなのかもしれない。
度々、言及されていた、「触れること/触れられること」というフレーズが、改めて印象に残る。著者がこの本を媒介として「読む人」に伝えようとしたのは、「書く力」と「内省する力」、更に、それにより「再生へと歩む力」なのかも知れない。そして、多分それは、誰しも持っている力なのだろう。
自分に置き換え、書き、内省することそれについて考えてみたいと思う一冊だった。
※尚、読みつつ抱いていたひとつの疑問も、巻末の「おわりに」の記述で、「嗚呼、そうか」と腑に落ちて解消された。

明日も早いので、あまり遅くならないよう、就寝。

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