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大清水トンネル1|百万ドルの暗い夜景

 ある秋の暮れ、私は東京から新潟へと向かう上越新幹線のなかにいた。景色の変遷が映し出されるはずの車窓は、しかし延々と続くトンネルの暗闇に塗りつぶされたままで、そこには人のまばらな車内と私の顔がぼんやりと浮かび上がるばかりだった。乗車した瞬間は旅の始まり特有の昂揚感に浮足立っていた私も、次第に落ち着きを取り戻していた。雪国へと抜ける長いトンネルのなかで、私はこれまでの日々を辿りなおしていた。

 多拠点で暮らすということを始めて一カ月以上が経っていた。多拠点で暮らすというのは、要するに一カ所に定住せず暮らすということだ。この時点で私は、すでに三、四カ所を周っていた。とはいえ、それまで暮らしていた実家が神奈川の横浜にあったことや、まずは近場で試そうとしていたこともあって、それらはすべて神奈川や東京にある拠点だった。拠点と一口に言っても、その在り方は様々だ。最初の一カ月で泊まったものだけでも、ゲストハウス、一軒家、アパートの三種類があった。

 ここであらかじめ断っておくが、こういった私の生活は「ADDress」という、日本各地の空き家を活用した、住まいのサブスクリプションサービスを利用することで成り立っている。毎月定額を支払うことで、全国二〇〇カ所以上の拠点に住むことが可能となるというものだ。また、各拠点には「家守」と称される存在が必ず一人いる。いわゆるコミュニティマネージャー的な存在として、会員同士や会員と地元の方との交流の架け橋となるのがその役割だ。拠点の個性は、その家守に依るところが大きい。この物語のおいても時折登場することになるだろう。

 なぜ多拠点で暮らすことにしたのか。鮮明に覚えている会話が一つある。それは大学四年の冬。就活も終わり、あとは卒論を仕上げるだけという単調な日々に飽きて、厳冬の函館に短期の移住をしていた頃のこと。初めて立ち寄ったカフェの若い店員との、なにげない会話の一節だった。
「函館はもうだいぶ周られましたか?」
 私がつい数週間前に函館に来たと伝えると、彼女はそう訊ねてきた。
「ええ。あ、ただ函館山からの夜景はまだです」
 函館といえば、函館山の頂上から眺める夜景が、誰が言い出したか「世界三大夜景」の一つとして名を馳せている。昔一度、実際に見たことがあるが、想像以上に煌びやかであり、「宝石箱をひっくり返したよう」という謳い文句も言い得て妙だなと感心した記憶がある。彼女は、綺麗ですよね、と頷いた後、ふと思い出したように続けた。
「だけど、私の祖父に言わせれば、函館の夜景は暗いんですって」
「暗い?」
「はい。昔はもっと明るかったみたいですが、いまは空き家も多いですからね」
 百万ドルの夜景を、暗いと感じる人がいる。そういう人もいるさと済ませることもできたであろうその事実が、しかし私を激しく揺すぶった。そういう人がいるということをまったく知らず、いや想像すらしたことのなかった自分が、やけにくだらない存在に思えた。そういった経験は幾つかが合わさって、迸る奔流となり、私の足をすくい私を飲み込んでいった。流れ着いた先は、複雑さを増した世界だった。三カ月の滞在期間は、函館山の頂上から見える「宝石」の一粒一粒が、この街で生きる人々の晩餐であり、労働であったことを私に悟らせるには十分だった。それはまさに青天の霹靂だった。

(「函館旧市街2」へ続く)

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