Cahier 2020.08.31
依然として自粛ムードの濃厚な世相に背を向けて、どうにも気になっていた展示を観に、一人京都まで行ってきた。
京都へは、学生時代、青春18きっぷで始発の在来線に乗って延々6時間もかけて行ったものだった。根府川の海辺の風景を見るのが楽しみで、どんなに早起きしてもそこまでは目を開けていられるのだけど、真鶴を通り過ぎた後に急に眠気がやってきて、島田まで眠り続けるのがお決まりのパターン。さすがに今は新幹線で、根府川の海もあっという間にすっ飛ばしてしまうけれど。
どうしても見たかった展示というのは、リニューアルしたばかりの京都市京セラ美術館で開催中の杉本博司「瑠璃の浄土」展。
2009年の瀬戸内芸術祭で直島で見た神社のガラスの石段(ガラス段?)の涼しい佇まいと白瑠璃のような分厚いガラスの断面がずっと記憶に残っていたのだが、不勉強なもので、氏が写真家だと知ったのは実は割と最近である。
「瑠璃」という言葉には、不思議な魅力がある。
初めてその言葉に触れたのは小学6年生。修学旅行の行先をグループで話し合っていたとき、メンバーの一人が「浄瑠璃寺へ行きたい」と言い出したときだった。本来なら行先は奈良県内で、たいていみんな石舞台古墳とか東大寺に行くのだが、なぜかわたしのチームだけ県境を少し越えた京都南部の浄瑠璃寺と岩船寺へ行くことになった。引率の教師もグーグルマップもなく、小6のガキ4人だけでよくたどり着けたなと思うけれど、意外と何とかなるもので、九体阿弥陀像と薬師如来坐像、そして有名な三重塔を眺めたときの小さな達成感が、その後の神社仏閣好きの性向を決定づけた一因であるような気がしている。
人形浄瑠璃文楽の原型と言われる「浄瑠璃十二段草子」は、わたしが中学時代を過ごした岡崎に生まれた浄瑠璃姫と牛若丸(源義経)の悲恋物語だし、「瑠璃」は清らかでありながらどこか悲しく、現世を嘆き浄土を希求する心にも似て、決してたどり着くことのできない場所へと人と駆り立てる、妖しい響きをもった言葉だと思っていた。
”写真技術の開発に大きく寄与したニュートンの『光学』により、白色だと思われていた太陽光が、プリズムによって赤、橙、黄、緑、青、藍、紫などの屈折率の違う複数の色から構成されていることが発見されたわけだが、杉本はその分光の色そのものを撮るという、これまで誰もやっていなかったことをコンセプチュアルな写真の方法論として提示した。”
今回展示されている杉本氏の「OPTICK」シリーズは上記の手法で撮られ、いわば光が「〇〇色」と名付けられる前の未分化の層の重なりである状態をカメラに収めた作品である。
”子宮の中で身を縮こまらせている胎児の頭部に視神経が形成されはじめるとき、光を感受するその神経細胞が初めて反応する色彩は青だという。イヴ・クラインの「宇宙青」を俟つまでもなく、青は始原の色なのだ。”
松浦寿輝『青の奇蹟』のこの一節のように、原始の生命が誕生した深海の風景を想起させるような、まさに「瑠璃色」であるこの青の重なり。深い悲しみと安堵がない交ぜになったような、生と死、二つの概念がひとつに融解していているかのような青。
色というものの概念的かつ観念的な奥行きを心ゆくまで味わわせてもらえる、素晴らしい展示だった。
こうした写真を堪能した後、夜の京の街を歩いていると、半月を少し太らせたようなお月様が皓皓と白い光を放っていた。月と言えば、やはり秋の月である。
「月白(げっぱく)」という色は、ほのかに青みを帯びた白のこと。現実には入射光のすべてを完全に拡散反射するような物体は存在しないので、物体色としての純粋な「白」は実在しない、もっとも観念的な色のひとつだとも言われる。
原始を想わせるようなあの瑠璃色も、そのさらに原始へと遡ればすべての色を含んだ白色光線。人間が一番最初に「白」という色を認識したのが太陽または月の光だとすると、「月白」という色もまた原始の色なのだと言える。人が死に、焼かれた後に残る骨も白いから、「白」はあるいは終末の色でもあるのかもしれない。
こんなふうにして色の持つ意味について考えると、意外と途方もない。
写真ひとつでこれほど広大なスケールを展開できるのだから、やはり杉本氏はすごい人である。
そういえば、杉本氏のギャラリー「江之浦測候所」は根府川の海のそばにある。あの光学硝子舞台から、あの海に浮かぶ太陽、あるいは月を一度見てみたい。
たまにはのんびり在来線に揺られながら、小田原の海へ出かけてみようか。