解説:レジェンダリィ・デストロイ・ブディスト・イッキュー=サン
イッキュー=サンは眠くなったのでブッダ像を枕に寝た。帰って来たブッダ像の持ち主のレンニョ=サンに「こりゃ、おれのしょうばいどうぐになにをするか」と起こされ二人でわらった。
よう、兄弟。俺だ、冬の冷え込みを感じる時期だな。
このえんとりで初めてお目にかかる方に改めて説明するが俺はデストロイ・ブディスト、すなわち破戒僧だ。
ゆえあらば神仏悪魔みな平等に斬るし、酒は飲むし、にくもくうし、ご婦人とラブ・メンテナンスもする。
これを聞いたおまえは「アイエエエエ……なんておそろしいボンズだ、こんなクソボンズはブディズム史始まって以来のダメボンズでは?」とかおもうやもしれぬ。
しかしさにあらず。俺などはブディズム史では木っ端ボンズにすぎぬ。もっとすごいやつがいる。
それがなんかさいきん煮ても焼いても喰えなそうなキノコが宣伝に使ってるイッキュー=サン、こと一休和尚である。
「アイエエエエ…え?一休さんてあの可愛らしい小坊主では?」というおまえの認識は半分正しい。
イッキュー=サンはげんじつのレジェンダリィ=ボンズだ。だから永遠の小坊主ではなくちゃんと成人したし、死ぬまでボンズだった。
が。イッキュー=サンはさとってから死ぬまでレジェンダリィ・デストロイ・ブディストだった。
ボンズ認定ももらったが認定書はほったらかした後、認定書が残ってると知った時には即座に焼却した。
ボンズとして一人前になった後もにくもくうし、さけはのむし、にょにんとめいく・らぶもするわ、ぼーいずらぶもするわ、おしゃかさまはじょーくのねたにするわ、かみもひげもそらずボサボサ、まっことこれ以上ないくらいのデストロイ・ブディストであった。
それでもイッキュー=サンのことを現代人はボンズだと思ってるし、当時の人達も彼をボンズだと扱ったし、当時の同業者もボンズ扱いしたし(変人ボンズ枠だが)、死後もボンズとしてボンズ像が残った。
なぜか。ブディストにとって大事なのはブディズムを実践することであり、如何に偉大であっても開祖ゴータマ・ブッダの戒律を思考停止でなぞるだけではいかんと考えていたと俺は解釈しておる。
そしてその在り方は当時の人々にもまさしくボンズであると受け入れられたのだろう。実際彼はめっちゃ人気者だったし、「お布施、たのむ」と言えばぱんぴーから金持ちまでこぞってお布施してお寺が建つ程であった。
どどのつまり、イッキュー=サンはブディズムとは盲目的に既存のルールをまもるものではなく、日々の思索と実践こそが肝要である、と生涯を通して体現したグレイテスト・ボンズだったと俺は解釈しておる。
しかし、これを読んだお前がイッキュー=サンの人生にまた異なる意義を見いだしてもそれはそれで尊いものゆえ、大事にされるが良い。
今回はここまでだ。この後にはイッキュー=サンのより抜きエッピソードを置いておくので興味があれば読むと良い。
イッキュー=サンはドスケベ・ボンズであった。上にも書いた通りぼーいずらぶもしたしにょにんとめいく・らぶもした。70歳過ぎてからめっちゃ美人の若い盲目の女性と(森侍女、という)出会ってイチャラブ老後も送った。
イッキュー=サンは今で言うところのパルプ・スリンガーでもあった。なんかやたら「淫」の字使っていたのでけしからんと腹をたてるケツの穴の小さいブディズム研究家もいる。それどころか、noteには到底のせられないようなポルノ=パルプもある。
ボンズだが見た目は豪華な作りの木刀を差して練り歩いた。なにゆえと問われれば「どいつもこいつも見た目ばかり取り繕うが抜いてみればこの通り、なんのやくにもたたん。ただの飾りよ」と答えたと伝わっている。
イッキュー=サンは他の宗派のボンズとも交流があった。取り分け仲のよかったのが冒頭のレンニョ=サンと言われており、「俺達は登る山道こそ違うが同じ天の月を求めて登っているのだなぁ」と言ったと伝えられている。レンニョ=サンとのエッピソードは他にも面白いものが多い。
開祖ゴータマ・ブッダのこともばっちりネタにしておった。「まったくブッダみたいなうろんなヤツが出てくるから世の中の連中がまどわされるのだ」っぽいニュアンスの作品が残っている。
めいく・らぶの口説き文句は素晴らしいものだった。「君と過ごす秋の一晩は百年にも千年にも匹敵する」(筆者による意訳)という名文句もイッキュー=サンの作品だったと言われている。
末期の言葉は「死にとうない」だったと伝承されている。現代以上に生きるのが辛い時代において生に未練を見せるほど明るく楽しく生きたイッキュー=サンらしい一言であった。