解説:みほとけのみちびきっぽいのは空気みたいな物でしゃだんするととたんにくるしくなる
みほとけのみちびきとかおじひは空気的な存在なので見えないし聞こえないし触れないし匂わない、もちろん味もしない。しかし、無いととたんにくるしくなるものである。
よう、兄弟。俺だ、コンスタントにパルプを書くのはなかなかむつかしいな。
まえのえんとりぃで「みほとけはあからさまなミラクルとかしない、それやるヤツはアクマ」とか書いた。
俺は基本科学信奉者なので健康法とかは人間の生理機能を踏まえて説明する。それすらも人間の性質は人それぞれなので合わないヤツは必ずおる。
だが、ボンズスキルがじうじつしてくると科学じゃ説明のつかない「なにか」がこの世の中に影響及ぼしてるのはなんとなくつかめるようになる。
それはあたかも「空気」めいて人間には知覚することがむつかしい代物で、今の科学では分析出来ぬし、言語化するのもむつかしい。ただ、あからさまなミラクル的なヤツは基本ブッダ勢はまずやらないし、俺も体験したことはない。
じゃーみほとけのみちびきってなによ?と問われたら俺は2パターン答える。
ひとつは「やってて楽しい」と感じる物事だ。
ブディズムは「楽」を教えるのがその真髄ゆえ、お前が楽しい事をするのはブディズムに叶うし、学術的にも楽しい事をやってるときが人間は一番つおいという研究結果がある。
なんかすぽーつとかげーむでも「血反吐をはきながら努力してるやつがニコニコ楽しんでるやつにボコボコに負けてる」のを見たことはないか?
人間は苦行をやってるときはよわくなる。楽しくやってるときはつよい。なので、どんなに努力しようとそれが苦行だとたいした成果はでぬ。
俺もブディズム=パルプを書くのはたのしいゆえ、パルプを書いているときはみほとけのみちびきを受けているといえる。苦しく感じたら書くときではないと考えて別の事をやる。
もうひとつはめちゃくちゃ精神的に辛い体験をする時だ。これはまえのえんとりでも書いた通り「ヤブブッダと駄ボンズの組み合わせ」とかで主に起きる。
みほとけは少しでもおまえを「楽」な方へみちびきたいと思ってるのが基本だ。なのでくるしくなる道を進むと考えを改めさせようとキツいお灸を据えてくる。
それがどういう「お灸」になるかは人によって異なる、怪我か、病気か、解雇か、失恋か、死別かははたまた無理矢理やりたくない仕事に割り振られるか、とにかく「お灸」を据えられる側の性質による。
理不尽に思える苦難に会った時には自分の生き方を再考されると良いだろう。もっともみほとけのみちびきを無視するのもおまえの自由意思の範疇ゆえ、それを無視しても俺は咎めはせぬ。
もう一つ気をつけておきたいのはお前が「悪事」を楽しいと感じる場合だ。その場合は神仏がおまえを「悪役」としての役割を割り当てており、最終的には破滅に至らせてもって世の中に「悪」のむなしさを見せつける人身御供にしようとしておるからだ。
だが、それもまた本人の自由意思で断れる範疇であるゆえ、思うがままに悪になるか、悪の道を断ってブディズムに進むかはおまえが好きにするとよかろう。
今回はここまでだ。またな。