思考:コナン・ドイルのジレンマについて考える。

クリエイター自身のスキ、と市場のユーザーのスキには少なからずギャップが生じる。どのような指針で創作をしていくにしろその事はこころのかたすみに置いておくと良いかもしれない。

よう、兄弟。俺だ。三連休は結局床に臥せっているだけで終わってしまった。

今回はクリエイターの嗜好と市場の消費者の嗜好とのギャップについて考える。なんかわかりやすい事象名がないのでタイトルはおれがかんがえた。

サー・アーサー・コナン・ドイルはあのシャーロックホームズの作者だ。
彼は生涯である一つの悩みを抱えていた。それはすなわち「なんでワイの考える最高傑作よりもシャーロックホームズの方が受けるんや……」というモノである。晩年にはその事を受け入れて「いっぱいパルプが書けたのもシャーロックのおかげじゃな」という旨のコメントを残している。

これは即ち、「クリエイターが自分のスキを目いっぱい詰め込んでも市場の需要にマッチした作品と比較してPVとかうりあげが下回る可能性がある」という事だ。

おまえはこれからラージャマウリ監督とかに作品をコメント付きツイートされて100000000PVとかするおとこだが、もしかしたらそれはおまえの最高傑作ではなく、ほどほどに情熱をこめて書いた軽めの作品になる可能性もなくもないのだ。森羅万象は割とイジワルなのでそういう事も割と起こりうる。

クリエイターのスキと社会のスキのギャップは以下の3パターンが考えられる。

一つは自分のスキと社会のスキが合致しているパターン。
自分のスキを追い求めれば即ち需要への供給となるので幸福なパターンだ。
これは大勢を占めるジャンルでなくてもよい。ニッチなジャンルでも供給がお前以外に居なければおまえの一人勝ちだからだ。ゆえにスーパーロボットとかボンズが出てきてワオワオする作品をもっと出してもよい。

また、人気のあるジャンルでも供給が過多になっている場合は時代の需要に乗っかろうとしても玉石混交の果てに見いだされずに終わる危険もある。
結局のところ人の心を引き付けるようなパルプ・カラテ力は大事だ。

二つ目は自分のスキと社会のスキにあまりにもギャップがありすぎるパターン。これは例えば、高度過ぎる内容のパルプだとそれを楽しめる人間も大幅に数が減るため、ビジネスとして成立させるのが難しくなる。
趣味として書く分には問題はないが、生業にしたい場合はちょっとばかし対策を考える必要がある。しっかり宣伝をうって高度なパルプを求めるヤツらに求めているのはここにある、と知ってもらわなければならない。

このエントリを書く少し前にも「コミケに出たけど一冊も売れなかった」とかいう話が出たが、参加者の立場からいうと参加前日までに本が出ると知らされないまま現地で自分の求める作品を探し出して買うのは困難を極める。

ゆえにおまえがコミケで本を出したりNoteでパルプを売ったりするならせんでんはおろそかにしない方が良い。本の存在を知ってさえいれば知己の本という事で買っていくヤツはそれなりに居ると思うし俺も買う。

なによりも、おまえがどんなにすごいパルプを書いても存在そのものを知ってもらえなければ存在していないのと同じだからだ。恥ずかしがったり、謙遜しているばあいではない。

三つ目はおまえのスキと社会のスキにちょっとだけずれがあったり、ほどほどに情熱を注いだ作品がおまえ自身が考える最高傑作と比べて大きく人気が出てしまった場合だ。

この場合はどうするのが正解、というのはない。おまえが心の中で市場と自分の嗜好のギャップを受け入れられるかどうかが大事だ。これはブディズム……諸行無常・森羅万象と向き合い受け入れる精神にも通じる。

おまえが現実と向き合えさえすれば、クリエイターが取り得る指針も幾つもある。

例えば、おまえがスキを詰め込んだ作品と社会に大きく評価された作品を平行して書き続けるなどだ。サンプルケースで言えばパルプライティング以外に生業を持っている場合は大体フルタイム勤務で10時間から11時間は通勤込みで拘束され、パルプを書くのはそれ以外の3~4時間ほどが限界だろう。

だが、おまえがヒット作を獲得し、それによって生計を維持できるライン※ここが大事だ に達したならお前の時間は全てパルプに費やせる。
サー・ドイルも晩年にさとった様に生計を維持できるほどのヒット作の保持は自分が書きたい作品にも注力できるということでもある。

また、島本和彦センセイも著作でおっしゃっていたが本業作家になれる最上の喜びは人生の全てを創作に費やせるという事だ。おれも空き時間は可能な限り創作に費やしたい。人間のじんせいは真面目に過ごすとあまりにも短いからな。困難な道のりなのは承知の上で、おれは諦めないしおまえも頑張れ。

逆に、ヒット作は良い思い出として早めにたたんでスキな作品に注力する選択肢もある。この場合もおまえが生計を維持できるかどうかがだいじだ。
にんげん何をおいても生きなければ現世においてなにもなせはしない。

夢を追い求めるばかりにげんじつをおろそかにしすぎて寒々しい大都会の端っこでマッチ売りの少女めいて最後を迎えるようなことは避ける事をすすめる。

さらに、創作を生計を維持できるビズにするのは諦めて、趣味として割り切るという手もある。金はもうからなくても他人におもねることなく好き放題できるのでこれはこれでよい選択肢だ。

まとめるぞ。

1:作家の嗜好と市場の嗜好には常にギャップが生じうる
2:だいじなのはその現実と向き合った上で作家として生きていくための建設的な指針をもつこと
3:たとえ市場の需要に合致しなくてもおまえのスキはとうといものなのでだいじにするが良い

今回はここまでだ。おれもまだまだ道半ばだががんばるゆえ、おまえもがんばれ。またな。

#コラム #小説 #クリエイターの心得 #需給ギャップ #コナンドイル

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