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作品選考眼が良いのも人生に良し悪し

何某かの作品を摂取する時、そこには最終的に自分の判断がモノを言う。インターネットで話題!とか周囲でムーブメントが来てる!を判断材料にしたにしても、最終的には自分で選んだことに違いはないはずだ。

で、選択には絶対はなく、しばしば外れを引くことがあるはず。いつかの未来、AIによるオススメが極めて優秀になり(AMAZONのオススメは漫画とか小説ではすでにかなり強い実感がある)AIが進めてくるのを脳死摂取する未来も間近かもしれないが、それでも低確率とはいえ、ハズレは引くことがあるはずである。

実際、自分にとってのハズレを引いた時はそれなりに、悔しい。開き直って別の切り口で楽しむ態勢になったとしても、一定の悔しみは生じるし、だからこそインターネットではハズレを引かないようになんかしらの工夫をする人々が一定数いるっぽいのもなんもおかしくはない。

だが、自力で高確率で自分にとってのあたりを引き続けられるってのにも実は割と罠がある。おれは作品の摂取選考において自己判断で8~9割は自分にとっての当たりを引ける。ゲームでも小説でもアニメでも、直感的にこれは自分はハマる、というのを引ける。こう書くと、すごい便利なスキルに思えるかもしれない。じっさい便利だ。

一方で、この選考眼による判別にもいくつか罠がある。あまりに当たりを引くのが当たり前になり過ぎると、自分の直感にビビッと来たものだけを読めば良いとかってなりがちである。これはとても良くない。

人間の視野、アンテナとかいうのは大分狭く、広げているつもりでも一個人では情報を網羅するのには限界がある。インターネットがある時代では情報が溢れすぎて良質な情報を摂取するのは一層難しい。加えて、ただでさえ狭い視野なのに自分が気に入った作品ばっかり食べてると、どうなるかというと……エンタメの偏食家になる。偏ったものばかり摂る形だ。

偏った情報摂取はお脳に似たような刺激ばかり与えるため、知識として偏るし、柔軟性や感受性もはやく衰える。なにより、自分がビビっと来なかった作品でも、摂ってみれば楽しいことだって決して少なくない。

経験の偏食ってやつはだいぶ恐ろしく、わかりやすい話だと思想エコーチャンバー現象とかがありそのまま思考とかアウトプットまで偏ってしまう。知的エコーチャンバー汚染が進んでいるセグメントのアウトプットはどれもにったかよったかな話をし始めて個性が均されてしまっている印象を受け、とても恐ろしい。みんな同じ話しかしないのである。

エンタメしかり、エンターテインメント作品でもアレルギー反応がでるほどダメってのは除くにしても色々食ったほうが知見が広がり体験も楽しくなるし、健康にもいい。そのためには、周囲の人が何にハマっているか耳をたてて情報を仕入れるのも大事なんですな。

戦場へ

実のところ、若い頃はあまりにも自分好みの作品を見抜くことができすぎて、人様のオススメとか周囲のムーブメントを軽視しすぎたので最近は他の人がハマっているとかオススメされたやつはプライオリティを高めにしてリストにいれています。まー時間は有限なので絶対摂るとは約束できないんだが。

今回はここまで、またな。

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