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紙と液晶では脳の文章処理が違う?
なろうでは、液晶に合わせた文体になっているとか聞いて。
ちょっと考えてみたい。
話の出元はある学説から
正直この手の話は大体煙の元的なものがある。
ざっくり検索したところ、最初に眼についた話はこんな感じの内容だった。
この話によると、言い出したのはカナダのマーシャル・マクルーハンっておっさんらしい。ただし、この人英文学者、文明批評家だそうで医学者でも生理学者でもない。本来の専門家ではないので少々、いや大分信頼性は落ちる。
専門家でなければ身体機能における実験をしてはいけないわけではないが……そもそもこの人自分の自説の補強案件としてやったにおいがあるのでなおのこと鵜呑みには出来ないやつである。現代でもよくあるパターンだ。
まあ、話の出元が信頼できないのはそういうものだと割り切った上で自分の体験を振り返って考えてみる。
経験上、液晶と紙では体験は異なる
自分の経験上では、同じ文章でも液晶と紙では脳内での処理感覚は大分異なる。
液晶では若干眼が滑り、内容を把握するために戻り読みする回数が増える。対して、紙媒体ではより集中度が高まり、文章の内容に入り込んで熟読する感覚が強まる。
この違いはやはり透過光と反射光の違いが影響しているんじゃないかと考えられるが、専門家ではないので実際に肉体で起きている変化までは観察できないのがくちおしい。脳内の血流変化とか検査しながら実験したらなにかしらの違いが見られる可能性はありそうだ。
自分に限らず、液晶と本では読み味が異なるという話は良く聞くのでプラシーボにとどまらないなんかしらの差異はある、かもしれない。実証実験は高名な学者さんにぶんなげることにする。
文字書きとして切実な問題は、紙媒体と液晶媒体では書き分けが少なからず必要になるであろう、ということだ。つか、ホントはもっと細分化させて、文庫本と雑誌でも異なるし、noteとTwitterでも変わってくるだろう。
液晶と紙の適正文体を深堀したい
現状、自分の認識だと液晶では全体の流れをがっと読み流して掴むような文体が向いていて、紙媒体では微に入り細に入り緻密な文章のほうが向いているイメージがある。
自分の視覚体感上だと、液晶上ではギチギチの文体はきちっと正確に読み取る敷居が上がるため、SIMPLEな表現に寄せたほうが把握しやすい。一方で、紙媒体の場合は液晶媒体に寄せたのと同じ文章だとやや無味乾燥になるキライがある。
この違いが何故生じるのかやはり明確な根拠は自分の中では導き出せていないのだが……これを読んでいるそこのあなたはどうだろうか。
戦場へ
こういう、明確な実験結果は無いが改めて振り返るとなんか違う気がする……という現象は結構厄介だ。無視するには影響が馬鹿にならないし、調査をしたら意外と有意差が出ない範囲で収まるかもしれない。
掲載媒体によって、読み味は左右されるってことだけ今回は頭に入れておきたい。
今回はここまで、またな。
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