思考:創作者におけるSNSの取り扱いについて考える
SNSから無差別にもたらされるネガティブな情報はおまえの精神を萎えさせ、創作に向かうパワを損なわせる。創作に専念するのであれば、みない、つかわないという判断も大事だ。
よう、兄弟。俺だ。創作には専念できているか?
今日は現代では欠かせないインフラとなりつつあるSNS、それを創作者がどう扱うべきかについて考えよう。Noteは既存のSNSとは大きく性質を異にする為、ここでは除外させていただく。
SNSにも良い所はあるし、それはおまえもわかっているだろうからここでは特に留意すべきデメリットについて重点的に考えよう。
1:SNSは見ているだけで時間を奪う
SNSというのはどれも病みつきになるようなシステムデザインがされている。なんか気になってつい見てしまうのはだれしもある事だ。そういう作りだからな。
だが、人間の時間は限られている。働いて、創作もこなしてと言うのであれば自ずと時間は有効に使わなければならなくなる。
そのような状況下でSNSばかり気にしていてはおのずと他の事に使える時間は目減りしてしまう。
ゆえに、気になってもSNSの確認は優先度を下げ、やるべき事をこなした時間に回した方が良いと考えられる。SNSの反響も作品を発表しなければ得られないものだからな。
2:無差別にもたらされるネガティブな情報は人間の精神にダメージを与える
時間だけなら、まあ集中すれば取り返せる人もいるかもしれない。世の中にはそれが出来るヤツもいる。だが、創作活動をする上で時間以上に大事なのは活動力だ。
人間の活動力は脳がどの程度活性化しているかに依存する。そして、脳は活動し続ければおのずと不活性化し、行動する気力は失われる。仕事から帰ってきたらやりたかった事に手を付けられない、何もする気が起きないというのは一日に使える活動力を使い切ってしまっているからだ。
そして、脳の活動力は「ほとんど大部分の活動で消耗する」=「SNSをだらだら見ているだけでも創作に費やす余力は損なわれる」というわけだ。
そして、さらに深刻なのはSNSで拡散されるネガティブな情報を無防備に受け続ける可能性が高いという事だ。
ブディズムにおいて、ネガティブな情報がもたらす怒り、悲しみ、憎悪、嫉妬などの感情を制する事は重要な命題だが、ブッダの生きていたころには当然SNSなんてものはなかったし「SNSは使うべからず」などという戒律もない。ゆえに現代に生きている人間がどう取り扱うべきかちゃんと考えなければならない。
何故、ネガティブな感情をコントロールしなければならないかと言うとネガティブな感情こそが人間を苦しめる根幹だから、というのがブディズムの思想だからだ。
そして、人間はネガティブな情報を見聞きして一瞬怒りや悲しみを感じるだけでも着実に精神的に消耗していく。それはテックが発展する以前とは比べ物にならない頻度だ。SNSに張り付いて1日に何十回も腹を立てていては気持ちが疲れるのは当然と言える。
では、どうするべきだろうか?
3:ネガティブな感情やストレスが勝るのであればSNSは使わないのもだいじ
徳の厚いボンズであれば、ネガティブな情報の嵐の中でも平静を保てるヤツとかもいるだろう。おれは沸点がひくいのでまだまだだがな。
だが、パンピーがそんな高僧めいた芸当が出来る必要はない。仕事とかご近所付き合いと違ってSNSは見なければ済む話だからだ。仮にNoteの告知をしたいにしても、NoteアプリからかWEBブラウザでできる。
仮に、SNSを使い続けたいのであれば、極力ネガティブな情報には触れないよう工夫した方がいいだろう。ヘイターの相手をするべきではないのと同じリクツだ。
「でもなんか吐き出さないと気が済まないし…」と思った場合は、運動して発散するか、創作に昇華したり、信頼出来る相手に聞いてもらうといいだろう、ヘイト作品にはならないように注意した方が良いが。
いかんせんSNSにネガティブな感情を吐き出すとログは残るしフォロワーさんは傷つけるしおまえのソンケイやシンライは損なわれるしで気晴らしの代償としてはあまりにもだいじなものがそこなわれていくからだ。何かに吐き出してしまいたい気持ちはワカル。でも、SNSはやめといたほうが、いい。というのが俺の考えだ。そゆのちゃんと受けとめてくれる仲間は根気よく探そう。
戦場へ
あらゆる物事、森羅万象には良い所も悪い所も両方あるもの、SNSもそれは例外ではない。特にSNSのパワはエグイので取り扱い一つで容易に破滅に至る事もある。
SNSがおまえの人生を害しているのであれば、いっそ使うのも控えてしまう事を考慮すると良いだろう。それは言うなれば刃物の扱いを間違って自傷するならば、手元に置くべきではないようなものだ。どちらも同じ道具だからな、扱い方は自分でさだめるしかない。
今回はここまでだ。またな。