いつまでも、あると思うな市場の在庫
テックの発展で在庫の制限なく手に入るようになった商品も多いが、商品の数には基本限りがある物。Noteのエントリにも在庫制限を用意する事も出来る。
よう、兄弟。俺だ。今日は在庫の残りがもたらす心理作用の話をしよう。
人間には、いつでも手に入るモノは後回しにし、入手機会が限られている物を優先する性質がある。オークションなどは稀少な品物を奪い合わせる事でより高値が付く事を狙ったシステムだと言えるだろう。
だが、電子論理で形成された作品、文筆パルプやイラスト、動画に知識と言ったものは格納しているサーバーがダウンするか、通信経路が遮断されない限りはいくらでも入手すること自体は可能だ。
一方で物理形成された商品。書籍、ゲームソフト、音楽が収録されたCD、映像が収録されたブルーレイといった商品は数に限りがある。まだまだ世の中は大量生産、大量消費の傾向に寄っているので、生産終了となった物も世の中に残っている事が多いの為に普段はあまり実感する事はないかもしれない。
だが、これが少数生産だったり、そもそもあまり流通していない代物になると話は変わってくる。例えば日本刀だ。
日本刀は現代においては技術継承のための生産に限られているため、間違っても大量生産などされない。ましてやいにしえの時代に制作された古刀などは似たような物を新しく作ればよい、という訳にもいかない。その品物が負う歴史その物が価値を担保するからだ。
そういう数が限られたものは当然価値が高まる。カネ、というのは所詮は物品やサービスへの対価としての役割を持たされているだけの物、使って初めて意義を持つものであり、カネその物が価値を持っているわけではないから、と俺は考えている。
では、俺のような電子論理媒体に作品を提供する人間は無制限の在庫を持つ選択肢しかないのだろうか。実はありがたい事にNoteには在庫制限販売という機能も、ある。
意図的に販売する商品に制限を与える事で購買意欲を掻き立てさせ、購入に向かわせるというのが在庫制限の販売戦略だ。これはごく少数の人々にだけ商品を持っていてもらいたい、といった意図の場合にも活用できるだろう。この様な選択肢がある、ということは良い事だ。
一方で販売制限をかけてしまうと販売制限以上には売れない、というデメリットも生じる。俺の様に、なるべく幅広く読んでほしいタイプの作家には考えなしに採用しても得るものが少ないといえるだろう。
在庫を限るか、ありったけばらまくか。どちらを選ぶかはおのれ自身、という事だな。
戦場へ
在庫を無制限にすれば数多くの人々に読んでもらいやすくなる一方で購入意欲は下がる。在庫を制限すれば購入意欲はあがるが売れる限界数は下がる。一長一短だな。
どちらにするかはクリエイティブに対する姿勢、思想によって決めるとよいだろう。
今回はここまでだ。またな。
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