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人生のいとまをもっと『余分』で埋めたい
暖かくなるのを見越して、ふと自転車を直した。
今住んでいるところが便利過ぎるのでぶっちゃけ生活するだけなら必要性は薄いんだが、人生を必要なものだけで構築すると得られる経験が薄っぺらくなり結果として人間としてもうすーくなってしまう。ので直した。
年単位でほったらかしだったのでスクラップかと思いきや、パーツをいくつか入れ替えるだけで済んだのでやっばり頑丈なフレームを買うに越したことはない。
一方、桜が咲きつつ気温は夏になったり冬になったり乱数ブレするので体がおっつかないわけで。日中20度の翌日が10度とかもう冬服着ればいいのか夏服着ればいいのかわかんなくなります。
思うに、この数年の疫病禍で多くの人にとって必須ではないが人生を豊かにするあれとかこれとかがだいぶないがしろにされていて、不幸の元になっている気がするんですよな。
インターネットは便利で遠くの人とも話せるのはとてもいいことだが、対面での会話とかちょっとしたコミュニケーションにとどまらず、少しのお出かけやサイクリング、食べ歩きに読み歩き映画にショッピング、そういう日々の気分転換が大きく制限されて、なんかただ働いて食って寝るばかりになっている人は少なくないんじゃなかろうか。
ただ座って液晶見ているだけだと体も動かさないし、受ける刺激のレパートリーもめっちゃ少ないのでなんだか生きているのに死んだ感じみたいになって、どうにも良くない。特に教養が薄くなる。
教養のいるいらないってのはよく話題になるが、実のところある程度の教養が無いとその重要性そのものを実感できず、なんか教養がなくても生きていけるような気がするが全くそんなことはない。あったほうが楽しいし、役に立つ。
そういう時、動画だけで得られる情報はあくまで視覚だけにとどまり、例えば初夏の爽やかな風の香りと肌触り、梅雨の垂れ込んだ雲の陰鬱さとじとっとした空気感、秋の透き通るような青空と紅葉のコントラスト、四季折々の花の香りなどなど、嗅いで触れて全身で感じるのに比べるとだいぶ情報量と解像度が下がってしまう。
そういう芳醇な体験というものを求められず、大多数の人が我慢してじっとこらえている状況というのは、いつまで経っても慣れるものじゃないし、じわじわ人生の情報量が目減りしてじんわり不幸せ感に陥っている……んじゃなかろうか。
いやあそうはいっても出勤はどうせ同じルートの繰り返しなので大して人生の足しにはなりませんがね!え、職種とか職場による?それはそう。
話を別の方向にひろげると、ちょうど休みと開花日が被ったので中目黒の桜並木へ花見に行ってきたんだが、今どきとは思えない人混み。いや、以前はもっとすし詰めで身動きも取れない感じだったかもしれないがその頃には行ったことがないので比較できない。人の流れに流されるままにささっと流し見て帰ってきてしまった。
こういう花見も、粘りに粘ってあと数十回しか出来ない。そう思うと、貴重な回数を奪っていった流行病の野郎はやはり許しておけず、地球上から根絶せねばならないと決意を新たにするのだった。
戦場へ
そろそろ暖かくなって来るし、いい感じに感染縮小していったらサイクリングとかしたいところですが、蔓延防止期間が終わった途端に感染者数が下げ止まりかけているのでどうなるかちょっとわからない。
なにはともあれ、早く根絶されてほしいものですなぁ。
今回はここまで、またな。
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