OTM【掌編小説】
「スッケスケだな」「確かに」「カッチカチやな」「確かに」
俺とT郎は、小洒落たカフェのテーブルに座り、あまりジロジロ見過ぎないようにしながら、隣の四人がけのテーブルにひとりで座って、コロナビールを小瓶で飲みながらオシャレにサラダとパスタなんぞ食ってる四十代くらいの男を観察して言った。
久々に銀ブラに繰り出した俺たちは、都会の一角にあるオシャレカフェで、コーヒーを飲みながらひと休みしているところだ。だいぶ暖かい気候になってきたし気持ちの良い日和だしテラス席で、と思ったのが間違いだったのかもしれない。
隣の男は近くの高級スポーツジムで運動してきた帰りですといった雰囲気を発散しながら、大きなスポーツバッグを自分の隣の椅子の上に置いて食事をしている。高価なスニーカーとブランドもののスポーツバッグ。洒落た感じのパーカーは椅子の後ろにかけている。二の腕やふくらはぎは引き締まり筋肉が盛り上がっていて、上半身もがっつりと筋肉が付いているのが見て取れる。
そう、見て取れ過ぎた。暖かいとはいえまだ三月なのに、彼は七分袖のニットを来ていた。それは上品なピンク色で、いかにも薄く、肌にピッタリくっつく素材なのか、男の上半身の筋肉の起伏を細部まで正確に、否応なしに強調していた。……とりわけ胸の左右にある突起が盛り上がって主張ぶりが凄まじい。形だけでなく色もくっきり見えた。褐色がかった濃いめのピンク。男の上半身はさながらピンクのグラデーションの饗宴だった。男が動くたびに上半身の筋肉がうねり、その褐色の部分も腕に隠れたり見えたりしている。
T郎 TSNだな
K介 何それ
T郎 乳首(tikubi)スケスケ(sukesuke)ニット(nitto)
K介 確かに
T郎 お前さっきから『確かに』しか言ってないな
K介 確かに
T郎 おい
K介 OTMだな
T郎 つまり?
K介 オッサン(ossan)の乳首(tikubi)なんて見たくない(mitakunai)
T郎 確かに
K介 それを踏まえてOTMだ
T郎 同じじゃん
K介 女の子(onnanoko)の乳首(tikubi)なら見たい(mitai)
T郎 はあ、なんじゃそら
K介 お前オッサンの方がいいの?
T郎 ネタ的につまんない。当たり前のこと言いやがって。
K介 別にお笑いコンビじゃないし面白い必要ないだろ
T郎 野郎同士の会話に笑いがなくてどうする
K介 知るか……乳首といえばS子さんが言ってたわ
T郎 俺らの会社の先輩社員でお色気要員のS子さんな
K介 誰に説明してんだ
T郎 いいから。S子さんがなんだって?
K介 S子さん、子供産んで産休中じゃん
T郎 知ってる
K介 こないだオンライン飲み会に参加しててさ『赤ちゃんにおっぱいあげるのすごく気持ちいい』ってさ
T郎 ……それは性的な意味で?
K介 バカ。なんつうの親としてのヨロコビ的な感じで気持ちいいって
T郎 はあ
K介 これが母性本能ってヤツかねーなんてさ
T郎 性的な場面で乳首が感じるってそういう部分だからかな
K介 それで、その、授乳? してると、乳首がすごく大きくなるらしい
T郎 ……そういやガキの時、おかんの乳首はでかかった気がする。風呂とかで。
K介 それお前のせいな
T郎 俺と兄貴の……え、じゃあR美の乳首も子供産んだらああなるの? えーやなんだけどー
K介 R美にそれ言うなよ
T郎 今がベストバランスなのに……女はもれなくそうなるってこと?
K介 子供を産めば、そうなんじゃね
T郎 ええ〜
隣の男はウェイターを呼び席でスマートに会計を済ませて立ち上がると、俺たちのテーブルのすぐ側を通って歩き去って行った。歩き方も颯爽としている。いかにも都会のエリートサラリーマンって感じ。T郎は男の背中を目で追いながらボソボソとした調子で
「ティクビよティクビ、どうしてあなたはティクビなの……」
と言い、コーヒーを口に含んだタイミングの俺は思わず吹き出した。濃い褐色の液体が盛大に向かいに座るT郎に降りかかった。
T郎 うわ! きったね!!
K介 悪り
T郎 ったく……って、ああああああ! おまっコレ
K介 !!!!
なんとT郎の両ティクビに、計ったような正確さで、茶褐色のコーヒーの染みが付いていた。T郎は白い長袖Tシャツを着ていてその二つのポッチリにどうしても視線が吸い寄せられる。
T郎 おおおまあああえええ〜なあああ〜
K介 ……っ! ……っ! ご、め……
T郎 笑ってんじゃねえええーーーーよおっ
K介 ………………!!
俺はT郎に悪いなという気持ちはあるものの笑い過ぎて息ができない。ヤバイこのままだと笑いで腹筋割れる。しばらく上体を屈めて笑いつづけ、涙を拭いながら顔を上げた。一瞬で俺の笑いは引っ込んだ。
そこにR美が座っていたからだ。R美はT郎の彼女で、T郎は自他共に認める巨乳好きだった。俺も大きいのは嫌いじゃないけど、どっちかと言えばグラビアとかで見る、サイズは中くらいで乳輪が小さくて薄いピンク色の綺麗な乳の方が好みだ……R美は、T郎のような白いシャツを着ていた。違うのは首元の形が深いVネックで、彼女の胸の豊かな盛り上がりが誇らしげにシャツを持ち上げているってところ。そして、シャツの両方の胸にはコーヒーの染みなどではない、下にある本物がうっすらと透けて見えていた。明らかにノーブラ。もちろん口には出さないけど、どうしても視線がそこに吸い寄せられる。俺はなるべく見ないように努力しながら尋ねた。
「T郎は? さっきまでそこにいたんだけど」
「ねえK介くん」
R美は嫣然と微笑むと、テーブルの上に両肘をついて下から上目遣いで俺の方を見た。俺は目の前の谷間の深みに視線が固定される。これは俺の意思の問題じゃなくて本能に基づく不可抗力だ。
「はい?」
「私の乳首の話をしてたでしょ」
「えっ……どうしてそれを」
「だって顔に書いてあるもん」
R美は鞄から小さい鏡を出して俺の顔に突きつけた。俺の顔の両頬とおでこには濃い蛍光ピンクでデカデカと「OTM」と書いてあった。R美はふふんと鼻で笑うと
「私に言わせればANS」
「というと」
「アンタの(anta)脳みそ(nomiso)スケスケ(sukesuke)」
「……」
R美の言葉は実を言うと俺の右耳から左耳にスルーしていた。なぜなら目の前に豊満で柔らかそうな双丘があって、彼女はますます身を屈め、俺はたゆんたゆんと揺れる目の前のそれのことしか考えられないから。もう少し、もうちょっとで乳首が見えそう…………
「おーいK介え。そろそろ飯行こうぜー」
俺は鼻を摘まれ目を開けた。コタツに寝転んだまま、うーんと身体を伸ばす。隣にはT郎が居て、天板の上でノートパソコンをいじっている。俺は欠伸をした。
「夢か……俺さー夢でお前と乳首の話してたわ」
「はー? 乳首? これのこと?」
「え?」
T郎に4センチほどの、ビニールでしっかり包まれた何かを渡される。それは透明で、小さな吸盤のような形をしている。突起の部分をつまんでみた。柔らかくて弾力がある。
「なにこれ……」
「乳首。哺乳瓶の」
「え? あ! あれか哺乳瓶の先についてるヤツか。赤ちゃんが咥える。そうか乳首って名前なのか。へええ、確かにおっぱいの代わりだもんなあ」
「S子さんに『お祝いに何かくれるなら乳首の替えにして』って言われて二個買って来たん。なんかさオムツは好みがあるらしくて。これも厳密にメーカー指定された。MODっていう……」
「MOD?」
「ママ(mama)のおっぱい(oppai)だいすき(daisuki)」
「……本当にそういうメーカーなの?」
「うん、そう」
俺は身を起こして、手元のそれをT郎に返した。T郎はそれをひとつづつ両手で持つと、突起側を外側にして両胸に当て、俺の方を得意げに眺め言い放った。
「よろチクビー」
俺は緩い笑いを顔に浮かべて呟いた。
「O(お前の)T(乳首なんて)M(見たくない)」
(完)
↑ネムキリスペクト。12月のお題は「透明」ですっ♫