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スリサズのルーンとþとなんか色々
ルーン文字はおそらくこの世で一番誤解されている文字の一つだと思うんだ。元々初世紀頃から14世紀にかけて一部で使われてた彫り文字で、よくそれぞれの文字の名前が意味を持つと言われて単体で取り上げられることが多いが、実際はアルファベット同様の音素文字。ゲルマンの民にはキリスト教と一緒に文字と羊皮紙が入ってくるまで書くという文化自体がなかっただけに、当時いかんせん使い手が少なく、使用はとても限定的で碑文や武器の装飾などに刻まれたものが多かったそうで。最近最古のルーン石碑が見つかったりして話題になってました。
使い手が少ない、すなわち文字を文字として使える人間が少なければ、それは必然的に神秘性を宿していくもの。キリスト教圏ですら文字の普及の中核を担っていたのは教会なのだから、文字に神秘性がもたらされるなんていうのは別に不思議ではない。そうでなくても、ルーン文字は北欧の神オーディンがもたらしたものとされる、古代ゲルマン文化を見る上で大切な文字だし。
ルーン文字の詳しい話については谷川幸男著『ルーン文字研究序説』などがおすすめ。私が書かなくても、もっとわかりやすくまとめてある場所があるし、正直この記事も僕が書く権利を持つほどの知識は全くないが、そもそも個人用メモと推し活と暇つぶしみたいな場所にするつもりなので、ここはしたい話を書きなぐるだけのくだらない場所と思ってください。個人的に無限∞空間さん(同氏ブログ含め)や、Living Runesさんも読みやすく面白いのでおすすめ。
配列の初めをとってFuþarkと呼ばれるルーン・アルファベットの3番目、「Þ、þ」の由来になったスリサズのルーン(ᚦ)に少し焦点をあててみる。ルーン文字は時代や地域によって少しづつ文字数や形が違ったりするのだが、ゲルマン大移動期から使われゲルマン全域で使われていた原始フサルク(古フサルク)、9世紀頃から北欧のゲルマン民族圏(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)で使われていた北欧共通フサルク(新フサルク)、アングロサクソンのルーンにもスリサズのルーンは出てくる。ただし、10世紀のコットン写本におけるアングロサクソンのルーン詩には、茨を意味するソーン(þorn)と書かれている。
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以下谷口幸男氏による各詩翻訳。
ノルウェー詩(13世紀頃のテキスト)
Þurs<巨人>は女らを病気にする。快活なものは不幸により悲しませられる。
アイスランド詩(15世紀のテキスト)
Þurs<巨人>女の苦しみ、崖の住人、ヴァルズン(女巨人)の夫。
共にキリスト教化が進んだ9世紀以降のテキスト故に、詩の原典として正しさに確証は持ちようがないが、他にも『ノルマン人のアルファベット表』にもThuris<巨人>とあるから本源的には一致するのが見てとてる。ここでいう女の苦しみという一致も、神話詩『エッダ』の「スキールニルの旅」で巨人の娘にþursを刻むと脅す場面があるのを、どちらの作者も認識していたからだろう。差が出てくるのがアングロサクソンのルーン詩。以下10世紀のコットン写本のアングロサクソン詩。
þorn<いばら>は大変尖っている。刺されるのは誰にとっても危険、その間で休むものには大変痛い。
もう明らかにキリスト教の手が入っている。巨人なんて異教の信仰の中身そのものなので、そのまま書くわけにもいかないのだろう。ちなみに他にも都合の悪い軍神チュールの名を持つルーン(ᛏ)も、アングロサクソンのルーンは星という意味に変わっている。異教の神の名なんてそのまま使えないもんね。
北欧神話と呼ばれるゲルマン民族の共通信仰も同様に編修されたのがキリスト教が入ってきた後のことと考えると、どこまでが原典として正しいのかわからない。神話研究の原典の一つとしてよく名前が上がる『スノリのエッダ』だって、作者のスノリ・ストゥルルソンはキリスト教徒に他ならない。彼が古い時代に思いを馳せ敬意を持って取り扱わなければ、後世にまで評価されるゲルマン古詩の手本とも言われるような本を残せなかっただろうが、記されたものの全てがスノリのような書き手でないだろうことも確かだ。多くの場合、特に南方のゲルマン人、ひいては大陸ヨーロッパ、もちろん英国を含めキリスト教化が早かった地域で文筆にたずさわる者は大体聖職者であり、異教のゲルマンの姿がそのまま残るはずがないわけで、多くの場合その文化は抹殺されるか、体よく変化させられるもので、そんな教会の眼鏡を通して見た姿が正しい古代ゲルマンの姿とは言えないだろう。
じゃあ教会の存在が古代宗教を見た時に完全な悪者かといえばそういうわけでもないというのが実際のところ。こういった記録が残っている事自体は書くという文化を持ち込んだキリスト教の功績そのものであり、口伝を好のみ書くことをしなかったゲルマンの文化が残されているのは一重に外部の影響と言っていいし、それは大体の場合教会や近しい研究者だ(ゲルマン人に関する最も古い記述もローマ人のものだし)。そもそもアングロサクソンルーンがあって、そこにキリスト教の影響が見られる時点で文化が破壊されずに流入されてるわけで、そこから作った文字(þ)で聖書書いてるんだから相当に尊重してる。キリスト教の聖遺物にルーンとラテン・アルファベットを併記しているものまである。だからこそルーン文字に関する資料や、石碑類も数多く残ってるわけで。ルーン文字が廃れたのだって、書く文化が乏しい地域で一部の使い手しかいなかった文字に対して、新しい宗教とそれに伴う政治と紐づいた文字が優位に立つのは必然ですよねって話で、それは破壊というより日常ですよね、という。公共のものが時代とともにラテン・アルファベットに置き換わっていく中、民間個人のものには結構しぶとくルーン文字が使われていたのは見つかっている文献や物品などからもわかっているわけで、これは破壊からは程遠い。
話が逸れたが、アングロサクソンにソーンと呼ばれたルーンは、古英語にも引き継がれている。音価もルーン同様「th(θ, ð)」。北欧写本でも初期では一部「th」に置き換えられることもあったが、基本初期から使われていて、現代アイスランド語にも組み込まれている。しかしこれはルーンに組み込まれていたスリサズがそのまま北欧で使われ続けたというよりも、古英語で使われていたソーンの影響でラテン・アルファベットに組み込まれたのだろうと言われている。なぜなら現代アイスランド語で「þ」という文字はþurs(スルス)ではなくþorn(ソーン)という名前でアルファベットの一部になっているからだ。アングロサクソンが彼らの言葉の発音に合わせてラテンアルファベットに「ð」と「þ」を追加したのがそのまま伝わってきたのだろう。
では古英語で使われてたソーンは現代英語でどうなったかといえば、ご存知の通りその姿はどこにもない。中英語ぐらいまでは使われていたようだけど、現代英語では全部「th」に置き換え。理由は時代の流れそのもので、印刷する時にわざわざ「þ」活字を用意しなかったから。ではどうしていたかというと、ベルギーやネザーランド(オランダ)から輸入した「y」の活字をしようしたらしい。置き換えというか文字化け。Ye Oldeなんていうニセ古英語はそう思うとちょっと皮肉だし、そのまま「y」の発音で読むと皮肉にもなれない無知丸出しになります。気を付けてください。自分がそうでした。
そんなわけで活字の導入と共に「þ」は紙面から消え、手書きでは使われ続けていたもののそれも「th」に置き換わっていき、ノルウェー語でも脱落したために、アイスランド語を除き使われない文字に。ソーンはイングランドにもたらされ、イングランドで改変され、他所で魂の一部になり、挙句イングランドに捨てられた文字になったわけです。イングランドらしいですね。大学の課題でアップルパイについて調べていたときも、古代ギリシャ・ローマで作られていたパイが英国に渡り今の形になり、開拓者として渡った先のアメリカでソウルフードになったら、現代ではインターネットにアップルパイは実は英国が!とびっくり豆知識みたいに書かれるようになるんです。イングランドらしいですね。
スリサズのルーンがソーンになったなら、じゃあそもそもルーンはどこから来たんだという起源の話。造形のルーツはラテン・アルファベットという説が元々主流だったが、現在は古代イタリアのエトルリア文字やフェニキア文字、つまるところ北伊文字がルーツになったという説もあり、書籍もあるらしい。説、つまり詳しいことはわかりません。大抵の古い文字は起源なんてわからないんです。というかラテン文字も北伊文字も同属だし。
しかしそんなのは所詮説、正しくは、ルーン文字は神々が作り出した文字です。聖典にもそう書かれている。
お前がルーネのことをたずねたとき、いと高い神々がつくられ、大賢人(オーディン)が描かれた、神々に由来するもののことがわかった。黙っていれば一番よかったのに。
魔術に精通した神オーディンが9日間槍に刺されながら首吊って死にかけたことによってヘルから引っ張ってきた文字、それがルーン文字です。碑文にもそう書かれている。
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runo fahi raginakudo tojeka unaþou : suhurah : susihhwatin hakuþo
I prepare the suitable divine rune ... for Hakoþuz.
神々より由来せるルーンを描けり…ハクスズのために
谷口幸男/著、小澤 実/編 『ルーン文字研究序説』(八坂書房, 2022)
じゃあ実際神々の文字は魔術的側面を持って使われていたのかと言われると、文献資料や実際の彫り込みが価値観を証明している。「シグルドリーヴァの歌」にも、勝ちたきゃルーンを剣の柄に彫り軍神チュールの名を三度唱えよとあるし、ルーン文字が呪術的にも神聖視されてたのは明らか。その他散文や詩、英雄譚、石碑や武器など色んなところで色んな役に立つルーンが出てくる。石碑などにオープンに刻まれていることが多い新フサルクと対称的に、古フサルクは呪術的に護符として持たれたものや武器から日用品にまでつつましく彫られて携行されたようなものが出土していることから、より原義的なルーンの秘密的な神聖さがうかがえる。時代とともに表に出ていくようになったルーン文字は、世俗化したが故に神秘の意味を失い、キリスト教と触れて神聖すら失いただの文字へと変化していったのだろう。
魔術といえばファンタジー、実際ファンタジー作品にもルーン文字が出てきたり、元ネタになってたり。例えば『魔法使いの嫁』という作品にも、ルーン魔術として登場する。
#まほよめ SEASON2裏話✎
— アニメ「魔法使いの嫁」公式 (@mahoyomeproject) June 15, 2023
ルーンの失敗談で、好きな女と恋人になりたかった男が、その手のルーンを彼女のベッドへひっそりと隠したら、恋人になるどころか女は死んでしまったという話があります。知恵もないのに魔術や呪術を扱うと、ほらこの通り、というわけです。
by ヤマザキコレ#魔法使いの嫁 pic.twitter.com/KfsgGfVbLj
「茨」という言葉が物語の中で頻出するなか、しかも英国が舞台なわけで、ソーンで片付けても誰も文句を言わないだろうに、ちゃんとスリサズのルーンとして紹介されているのは作者のヤマザキコレさんの意地か。どうしてスリサズのルーンだけに絞った話をした上にこんな順番の話になったかといえば、当然オタクだからなわけで、全人類は『魔法使いの嫁』を見るないし読むべきだから。英国モチーフの作品で、ちゃんとスリサズのルーンと呼んでることが、なぜ嬉しいかという話をするためには、長ったるい導入が必要だったわけですね。自然な流れですね。3、4ページの中で、かつ作品の設定にも合わせながらの説明としてはとても簡潔にわかりやすくまとまっていて好きという話。しかもちゃんと活躍します。それだけです。読んで。
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余談、Windows使いの方(全人類)は「þ」はテンキーでalt+0254、「Þ」はalt+0222で出ます(「Þ」はなぜか環境の言語設定が日本語だと出ません)。Macをお使いの珍しい方々はABC Extendedでoption+t / option+shift+tでそれぞれ出るらしいです。どちらにせよ不便だが、そもそもアイスランド語を使う人はキーボード配列にあるので、altコードなんてコードページ437の遺物を使う機会はなかなか無いと思いかと。私は仕方なく使っていますが。文字を作るときはキリルのфと並んで珍しくアセンダーもディセンダーもあるので、バランス取るの難しいよなぁとか思いつつ、結局コンポーネント処理になっちゃうから、とくにないです。
ちょっと今回はとっ散らかった記事になっちゃった。導入の方が長くなっちゃたけど、ネタバレになっちゃうし。それでは。
参考文献:
谷口 幸男/訳『エッダ: 古代北欧歌謡集』(新潮社, 1973)
谷口幸男/著、小澤 実/編 『ルーン文字研究序説』(八坂書房, 2022)
ヴィルヘルム・グレンベック/著、山室 静/訳『北欧神話と伝説』(講談社学術文庫, 2009)
Rony McTurk編『A Companion to Old Norse-Icelandic Literature and Culture』(Blackwell Publishing, 2005)
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