見出し画像

じいちゃん

うちのじいちゃんはカミナリじいちゃんだった。明治生まれで、家父長権を掌握して家庭内に君臨していた。我が家は両親と祖父母、私と弟2人の7人家族だったが、じいちゃんはだれかれかまわずカミナリを落とした。もちろん、いちばん落雷の被害に遭ったのは私たち、孫だった。

「返事の仕方が悪い」、「玄関では靴を揃えて脱げ」、「朝の挨拶は顔を洗ってからにしろ」、「食べ物の文句は言うんでねえ」「コメは一粒残さず食え」、好きなテレビ番組を見ていてお風呂に入らないでいると、「さっさ風呂に入れ」と怒鳴られた。じいちゃんは暴力を振るうことはなかったし威張ることもなかったが、とにかくすぐカミナリを落とすので避雷針が欲しかった。

朝は寝ぼけた顔で言うより顔を洗ってから「おはよう」と挨拶するのがいいのはそりゃそうだろうと思うが、狭い家の中では顔を洗う前にじいちゃんに出くわすことだってある。その時はじいちゃんを無視して洗面所に行きゃあいいのか、朝、顔を洗う前でも誰かの顔を見たらおはようと言うのが自然だろうと文句を言いたかったが、おっかないので言い返さなかった。

私たちは小学校の低学年か幼稚園くらいだったから、ワンコみたいなもので行儀の良し悪しなんてまだよくわからない。そんなわらしが3人もいたので、しょっちゅう誰かにカミナリが落ちた。そして、時々そのとばっちりが親に向かった。「親がちゃんと躾をしねえからこういうことになるんだ!」

私はこれが嫌だった。父はまだいい。実の息子だから。でも、そんなふうに言われる母が可哀想だった。私は自分が怒られるより、母がじいちゃんに怒られるのが嫌だった。

こういうとき仲裁に入れるのはばあちゃんだけで、「まあまあ」とじいちゃんをなだめ、孫たちには「もうこんなことしないよな。もうあっちに行きなさい」と言い含めて事態を収拾していた。典型的な昭和の大家族の役割分担ができ上がっていた。

私はじいちゃんがものすごく苦手だった。こんなカミナリじいちゃんと一緒に生活しなくていい従兄弟たちが羨ましくてしょうがなかった。あのじいちゃんがそばにいなかったら、私たちはもっとのびのびとおおらかに育ったのではないか。そんな思いを大人になってからもず〜っと抱えていた。

                 🔳

ところが、いつからか考えが変わってきた。じいちゃんは明治から昭和という否も応もなく男が家父長制を担わされる時代に生きて、それはそれで大変だったのではないかと思うようになった。カミナリは落とせても誰にも泣き言は言えないし、言い訳もできないし、頼ることもできない。家庭の中で決定権を掌握するからには家族に対して責任を持ち、家族を守るために強くあらねばならないのは孤独だったろうし、相当大変だったのではないだろうか。

じいちゃんはいつも一番風呂に入った。あとは誰がどういう順番で入ろうがどうでも良かったが、じいちゃんが一番というのだけは我が家の問答無用の掟みたいなものだった。テレビでじいちゃんの好きな相撲やプロレスが始まっていようと、お風呂が沸いたらさっさと入らなければ他の者に示しがつかない。それはそれでご苦労だったよのう、と今は思う。

おっかないじいちゃんだったという思いばかりが強かったが、ふと、怖くなかったじいちゃんのことを思い出した。

じいちゃんはもう隠居の身だったので、暇を持て余すと近くのパチンコ屋に行った。適当に遊んで、たまにチョコレートとかキャラメルとかの戦利品をもち帰ってくることがあった。孫にやるためだ。孫が喜ぶと、いつもはカミナリみたいな顔をしているじいちゃんも目を細くして笑った。

私の田舎は雪国で寒いし、正月になったばかりで道がついていない雪の中を歩いて行くのも大変なので、初詣には行ったことがなかったが、私が小学3年生か4年生ぐらいの頃、じいちゃんが「初詣に行くからあいべ(一緒においで)」と言って私たちを初詣に連れて行ってくれた。

お正月のテレビ番組も見飽きて、弟たちと百人一首をしようと思った。札を畳の上に広げて、私が「あふさか山のナントカカントカ〜」とか、「けふここのへににほひぬるかな〜」とか意味も全くわからず、「なんだこれ??」と思いながら読んでいると、見かねたじいちゃんが、「そんなふうに読むんでねえ」と言って読み方を教えてくれた。

東京の大学を受験して合格発表の日に結果を見に行ったら、私の番号がなかった。公衆電話から家に電話したらじいちゃんが出た。「大学に落っこちた」と言うと、「そうか、しょうがねえな」と思いがけず優しい声が返ってきた。じいちゃんは行儀にはうるさかったが、そう言えば、成績が悪いとか勉強しろとか、そういうことで孫たちにカミナリを落としたことはなかった。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

昼間でも聴ける深夜放送"KombuRadio"
「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。


いいなと思ったら応援しよう!