見出し画像

5年前の予約

先日、サンフランシスコ在住の生徒さんと話していてびっくりしたことがある。

この人は、これが2度目となる今年10月の日本旅行をとても楽しみにしている。どこの航空会社を予約したか聞くと、ZipAirの格安チケットだという。格安なので食事は出ないし、必要最小限のサービスしかないらしい。安いからすぐに満席になるので予約が大変だったという。そこで、いつ予約したのか聞くと10月25日とな。

「へえ、1年も前に予約したんですか」

と、やや驚いて聞くと、

「違いますよ。5年前です」

ドヒャ〜、5年前ってビフォアコロナですよ!!!ビフォアとアフターで世の中はすっかり変わっちまった。浦島太郎にとってのビフォア龍宮城とアフター龍宮城ほどのインパクトだ。この間に私の気持ちや考え、生き方もかなり変わった。多かれ少なかれ、みんなそうじゃないかな。

私は5年先のことなんか全くわからない。世界が平和かどうかもわからないし、今の生活の延長上で生活できているかどうかも怪しい。そもそも自分が生きてるかどうかもわからない。むかしだったら30年後にはこうなっているかも、なんて悠長に希望的に描いていたような未来が、今や、わずか1、2年で目の前に現れそうなほどの変化の速さを感じる。

コロナ禍とAIのインパクトで、これからは将来の見通しを立てるのが難しくなるだろうなという気がしている。コロナ禍以降の世の中の変化が激しすぎて、追いついていくのが大変だ。しかもその変化が見えればいいが、感じられるだけではっきりと目には見えないので、どう対処したらいいかよくわからない。いつ起こるか予測不能な大地震のように不気味だ。

ここ数年そんな感覚でいたので、その生徒さんのことばは衝撃的だった。その人はチケットを予約したときはまさかコロナ禍が起きるなんて夢にも思っていなかっただろうし、旅行は無事に実現できると信じていたからこそ、5年も前にチケットを購入できたのだろう。

が、せいぜい3ヶ月くらい先のことしか想像できない私にとっては、5年も先の未来に何か計画を立てられるというのはすごいことだった。それともこれは普通のことで、それができない私の方が世間とずれているのだろうか。そういえば、30年ローンでマイホームを購入するなんてこれまでは普通のことだった。考えてみればそれもすごいことだ。5年どころか、30年後も現在の延長上の生活ができると信じることができたということだから。

でも、こうした鷹揚な未来との付き合い方はもうできなくなるだろう。2、3年後には思いもよらないようなテクノロジーが登場して、今の常識では想像できないようなライフスタイルに変わっていくかもしれない。今描く3年後の生活プランなんて、その時になったら全く役に立たなくなっている可能性がある。

いや、逆にAIがもっと進化すれば、不確実だと思っている未来がもっと確実に予測できるようになり、なんなら自分の寿命までも知ることができるようになって、人生設計も容易になっているだろうか。

目の前に迫っている未来なのに、それがどんな未来なのかよくわからないということが私を落ち着かなくさせる。ただ、早晩現金なんて姿を消すだろうし、技術者はこぞってAIを進化させようとしているから生活は便利でらくになり、人はだんだんすることがなくなって、暇を持て余すようになるだろうということは何となく想像できる。

そこで素朴な疑問。みんなそういう未来を望んでいるのだろうか。そういう未来では今より多くの人たちが幸せになれるのだろうか。

AIの研究をしている人たちは、自分たちが生み出すテクノロジーがいい未来を作ると本当に信じているのだろうか。

人の幸せを考える前に、まずテクノロジーありきで研究開発に取り組んでいるということはないだろうか。

AIが進化するとあれができる、これもできる、だからとても便利になる、という議論はしばしば目にするが、それで私たちが幸せになるのかどうか、という議論はあまり聞かない。

Aiが進化した未来は確かにとても便利だろう。そして、この流れはもう誰にも止められないように見える。でも、便利=幸せではないよな。そういう未来を私は好きになれるだろうか。




らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

昼間でも聴ける深夜放送"KombuRadio"
「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。


いいなと思ったら応援しよう!