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なんちゃって平安朝日記 Vol.2


むつきのとおかあまりようか パートタイムはじめ

けふより新き営み始まりぬ。昼下がりより夕暮(ゆふぐれ)まで働くなり。これなむパートタイムとや。業(げふ)は封筒に宛名のシール貼るのみにていとやすくたのし。さりながら、封筒全てで1300あまりなり。暮方(くれつかた)になれば首肩凝りぬ。


むつきのはつかあまりふつか ジャンベまねび

久方の光のどけき土曜の朝ジャンベたづさへ渋谷の教室へ赴く。けふは新きリズムまねぶなり。ことくにの打ち物打つは難(かた)しけれどいとたのし。新きリズムに心ときめくなり。いつのひにかたへなる調べ打ちまし。


むつきのはつかあまりみっか 髪を切りぬ

髪を切らむとてヘアサロンへ往きぬ。こたびは髪型少しく変えむとしかばヘアスタイリストに談合(だんかふ)す。そのヘアスタイリストわれに雑誌見して言ふ。「このスタイルやいかが。」われ答えて曰く「よろしかるめり。」小半刻ばかりのち髪仕上がりぬ。鏡を見れば髪いみじう短し。われ泣き濡れて蟹とたはむる。(本歌取り)


「古語林」から今日の発見:「あひみる(相見る・逢ひみる)」は単に人と会うという意味だとばかり思っていた。もちろんそういう意味もあるが、「夫婦関係を持つ、契りを結ぶ」という意味もあるとは知らなかった。百人一首にもある「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」(藤原敦忠)の「逢ひ見ての後の心」はデートして楽しく過ごした後の気持ち、くらいの意味だとずっと思っていた。百人一首でこの和歌を知ったときはまだ小学生だったので、そんな深い大人の機微があるなんて思っても見なかった(言い訳)。でも、今は「そりゃそうだわな」と納得。高校生が作った和歌じゃあるまいし、「デートしたらデートする前より好きになっちゃった」みたいな内容であるはずがない。不明を恥じるなり。


お断り:「なんちゃって平安朝日記」は古典へのアカデミックなアプローチではありません。平安朝のことばを使ったことば遊びという試みですので、文法的な間違いなどは多々あると思います。その点、どうぞご了承ください。また、間違いをご指摘いただいたり、正しい用法などご教授いただければ大変ありがたく、今後の「なんちゃって平安朝日記」の糧とさせていただきます。あと、英語も。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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