大人のメルヘン「バグダッド・カフェ」
この映画を初めて見たのは日本のバブル景気がピークを過ぎた頃。取材先で「これ、よかったらどうぞ。いい映画ですよ」とタダ券をいただいて、どんな映画か全く知らずに見に行った。
年を取ったり環境が変わったりして自分の考えや価値観、ものの見方がずいぶん変わったことが端的に感じられるのは、若い頃読んだ本を再読したり、好きだった映画を年月を経てまた見たりした時だ。すると、前回は気づかなかったシーンやセリフにハッとしたり、全く違う感想をもつことがある。まるで、子供の時は嫌いだった食べ物が大人になったら大好物になっていたというように。それが面白い。
初めてこの映画を見てから30年以上経つ。この映画を2度目か3度目に見た時の印象を3年前にnoteに書いた。今回はどんな発見があるだろう。
バグダッド・カフェは1987年製作され、日本で91分のオリジナル版が劇場公開されたのは1989年。2009年に未公開シーンの追加や再編集を施した108分の「ニュー・ディレクターズ・カット版」が公開され、2024年にそのディレクターズカット版の本編をデジタル修復した「4Kレストア版」がリバイバル公開されている。今回見たのはこれで、以前見たオリジナル版よりも17分長い。なんだか得した気分だ。
大まかなストーリーは「”みんな仲良し”が嫌い」で書いているので、重複するところはここでは触れない。
映画を見終わった時のカタルシスは初めて見た時と変わっていなかった。やっぱり私は大人のメルヘンのようなこの映画が好きだ。ポスターに使われている写真ーースーツを着たヤスミンがハシゴにまたがり、自分と同じような寸胴のタンクをゴシゴシとモップで擦っているーーこのポスターを見た時から私はこの映画の世界に入り込んでいた。
ヤスミンは童顔の、太った中年女性。スーツ、かわいい帽子にパンプスといういでたちで、アメリカのどこかにあるモハヴェ砂漠をスーツケースを引きずりながらトコトコと歩いて、映画のもう一人の主人公であるバグダッド・カフェの女主人、ブレンダの前に現れる。それはまるで、砂漠に不釣り合いなスーツを着た太っちょの妖精が、蜃気楼から忽然と姿を現したようだった。
映画のヒロインはたいていスタイルがよくてきれいな女性だ。そういう映画を見慣れているので、ビヤ樽のような体型のヤスミンの魅力に気づくまでに時間がかかる。でも、ヤスミンのスーツに帽子という、場違いでやぼったいエレガンスがやがてチャーミングに見えてくる。太ってはいるが足首がキュッとしまっていて、品のいいセクシーさも感じる。今回改めて感じたのは、ふくよかな女性の美しさ、かわいらしさだった。
ヤスミンは映画の中で白いワンピースを着たり、白いオーバーブラウスに水色のスリムジーンズ姿になったり、水色のタキシードを着てマジックを披露したりする。白いワンピースを着て髪を下ろしたヤスミンはまるで「不思議の国のアリス」のようにかわいらしい。ジーンズもよく似合う。ジーンズは痩せていないと似合わないと思っていたが、つまらない思い込みだったと気づいた。
一方のブレンダは、最初のうちは、ろくに働かない夫や勝手なことばかりして言うことを聞かない子供達にイライラして、眉間に皺を寄せ、ボサボサの髪を振り乱して年中ガミガミ怒っている。私の印象では、痩せっぽちのブレンダはキリーーあの木の板に穴を開ける先の尖った道具ーーだった。歩くときは肩を怒らせて手をビュンビュン音がしそうなほど前後に振って大股でドスドス歩き、ものすごい勢いでドアをバタム!と閉める。目を吊り上げ、肩を怒らせて歩くブレンダもまた、ヤスミンとはまったく異なるキャラの妖精だったことに気づいた。
ヤスミンはバグダッド・カフェに併設したモーテルに滞在し、そこの住人やブレンダの子供達と仲良くなり、次第にブレンダと無二の親友になっていく。太っちょのヤスミンとキリのようなブレンダが夕日が沈んでいくモハヴェ砂漠に並んで立つ姿もメルヘンだ。やがて二人はお揃いのタキシードを着てバグダッド・カフェでマジックショーをするようになり、カフェにはどんどんお客がやってくるようになった。
ヤスミンが来る前は、いつも不機嫌で不細工な女にしか見えなかったブレンダの顔に明るさが戻り、ヤスミンとマジックショーを始めたときには、歌がうまくて笑顔が似合うかっこよくて素敵な女性に大変身していた。これが大人のメルヘンでなくて何だろう。
ラストシーンでは、昔ハリウッドで絵かきをしていたという初老の男性が、野草を摘んだ小さな花束を持ってヤスミンの部屋を訪ねてくる。彼はヤスミンをモデルにして何枚も絵を描いており、彼女に恋心を抱いている。そして、「アメリカに長く滞在したいなら、例えばだがね、市民権を持っている男と結婚するという手もあるよ」とまわりくどい前置きをして、Will you marry me?とプロポーズをする。
バグダッド・カフェは大人のメルヘンだから、もちろんハッピーエンドだ。でも、このプロポーズにヤスミンは「イエス!」とは答えない。その手のハッピーエンドではないのだ。
ヤスミンの返事を聞いて、私は「ああ、そうだった」と思い出した。初めてこの映画を見た時も、ラストシーンのヤスミンの言葉を聞いて、私はメルヘンを感じたのだった。
ネタバレになるのでこれ以上は言えませぬ。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
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