Catch Up しない?
ニューヨークにいたときとは人付き合いが変わったことに、ふと気づいた。帰国してからは友達と会おうとするときはたいてい、「飲みに行かない?」、それが無理な相手の場合は「ランチしない?」だ。でも、ニューヨークにいたときは、「飲みに行かない?」はほぼなかった。日本のように気が利いた居酒屋がほとんどなくて、飲みにいく場所としてはバーくらいしかなかった。バーはひとりで、または友達とお喋りしながらひたすら飲むところで食事のメニューがないことも多く、私のニーズには合ってなかったので、「飲みに行かない?」という誘い方、誘われ方が日本でのように気軽にできなかった。
じゃあ、どうしていたかというと…
It's been a while since we we met last time. Why don't we catch up over a cup of coffee?(しばらく会ってないから、お茶しながらキャッチアップしない?)
Catch upは追いつくという意味だが、この場合は「近況報告する」というような意味になる。日本で「飲みに行かない?」とか「食事に行かない?」というときは、しばらく会っていない人と飲んだり食べたりしながら楽しい時間を過ごすのが目的だろう。相談があるとかいうような明確な目的がある場合を除いて。でも、catch upの場合はその人に会いたいというのもちろんあるけど、お互いの近況報告をすること、それ自体が目的なのだ。
気の利いたレストランや最近評判のカフェなんかにいく必要はなく、忙しいニューヨーカー同士が時間をやりくりして、「この日の午後3時から30分くらいなら時間があるから、どこそこのスタバで会わない?」みたいな約束をして、会ってガーっと近況報告すると、「じゃあ、もう行かなくちゃ。またね」みたいな感じでお開きになる。適当な場所がない場合は、コーヒーを買って公園のベンチや、その辺のパブリックスペースで話すということもあった。要するに、場所はどこでもよかった。
だから、catch upに誘う相手は近況報告する意味のある相手ということになる。しばらく会わないうちにこの人は変化を遂げているだろうなと思う相手が対象だ。ただ久々に会いたい人や懐かしい人を誘う場合は、catch upという言葉は使わずに、お茶や食事に誘うだろう。
私が時々catch upに誘っていたのは、「この人は今どんなことを考えているんだろう」とか、「何か新しいことを始めたり、新しい考えを仕入れたりしているかもしれない」というような期待を抱かせてくれる人たちだった。要するに、お互いにいい刺激を与え合うことがcatch upの目的。だから親しい友人とは限らず、何かのきっかけで知り合ってピンときた人に、「よかったらお茶でも飲みながら話しませんか」的なお誘いをすることもあった。ニューヨーカーは新しい”何か’や自分が知らない”何か”に対して敏感だから、時間さえあればたいてい応じてくれた。
もちろん、catch upしようと誘われることもあった。それは私にとってはとても嬉しいことだった。相手が私の中に友達や知り合いという以外の関心事や価値を見つけてくれているということだから。「しばらく会っていない間に、こんぶは何を考え、何をしてきたのだろう」と興味を持ってくれていることが嬉しかった。
十年一日(じゅうねんいちじつ)のような生活をしていたって構わないけれど、頭の中身も含めて1年前と同じ状態を維持するんだったらニューヨークにいる必要はない。ニューヨークにいるからにはいろんなことを経験したり吸収したりして、変化し続けていたいと思っていた。だから、私が数ヶ月前、または前回会ったときとは違う私になっていると期待してもらえることが嬉しかった。
私の娘や息子くらいの若い人たちにcatch upに誘ってもらえるのは、ことさら嬉しかった。私が若い時は、自分の親ほどの年齢の人たちをお茶に誘うなんて考えられなかった。そんなに年齢の上の世代の考えていることに興味はなかったし、日本の場合は目上の人に対してはそれなりの礼節を尽くさなきゃいけなくて窮屈だし。第一、10歳も20歳も年齢が上の人たちをお茶や食事に誘うなんて恐れ多かった。よほど相談にのって欲しいことでもないとそんなことはしなかっただろうと思う。
だから、ニューヨークで若い人たちに「久しぶりに会いませんか」とか「ランチしませんか」などと誘われるのは、私にとっては名誉なことでもあったのだ。私を堅苦しいおばさんだとは思わずに、気軽に話せたり、対等に近況報告がしあえる相手だと思ってくれているということでもあったから。
マンハッタンは狭いので30分もあれば、たいてい待ち合わせの場所に行ける。30分程度でささっとcatch upするというのは、多忙で新しい情報に貪欲なニューヨーカーらしい人付き合いだったなと思う。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
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