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クリスタル シンギング ボウルのパイオニアとして

クリスタル シンギング ボウル奏者となったRAURAは、日本で3枚のアルバムをリリース。
その後アメリカに拠点を移し、現地の楽器メーカー クリスタルトーンズ所有のクリスタルレゾナンス研究所と、クリスタル シンギング ボウルの音の共同研究を始めます。
クリスタル シンギング ボウル専門のエンジニア達とともに、その可能性の模索、演奏手法やレコーディング技術の開発に尽力し、新たに3枚のアルバムを製作。
同時に、体系化された世界基準のクリスタル シンギング ボウル教育カリキュラムについても、この頃から準備を進めてきました。

RAURAはクリスタル シンギング ボウル教育カリキュラムを体系化し、Crystal Resonance Instituteを通じて提供する役割も果たしています。

RAURAはアメリカ生活を振り返り、「演奏を研究するためのスタジオとエンジニア、住む場所も、提供されクリスタル シンギング ボウルの演奏だけに集中できる最高の環境。
クリスタル シンギング ボウルのことだけを考え、クリスタル シンギング ボウルのことしか話さず、クリスタル シンギング ボウル一色の生活だった」と語ります。クリスタル シンギング ボウル一色の生活が2年目を過ぎた頃、RAURAは「ここでできることは、やりきった」という思いを抱くようになります。
「このままでは、クリスタル シンギング ボウルに吸い込まれるのではないかという感覚に陥った」とも。クリスタル シンギング ボウルに魂を捧げるかのような日々を送ったことのある、RAURAならではの感覚でしょう。2013年、RAURAは、アメリカでの恵まれた環境に自ら別れを告げ、楽器を抱えてヨーロッパへ向かいます。

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