何故面白くない演劇がうまれてしまうのか
初めまして、さーもんです。
皆さんは演劇は好きですか?私は大好きです。目の前で役者という生き物が戯曲の中の人物を表現し、物語を再現することにより、観客に何かしらメッセージを届ける、これほど面白いエンターテイメントはなかなか無いものです。まだ演劇というものをご覧になられてない方には一度でいいから是非見ていただきたいです。
さて、しかし演劇というものはたくさんの種類があり、様々な場所で上演されています。その中には、「時間を無駄にした」「途中で帰ってやろうか」と思ってしまう、所謂つまらない作品というものも少なくありません。今回は、何故そのような作品が生まれてしまうのか、個人的に思うことを綴っていきたいと思います。
1、役者の役割認識の不足
演劇というものは、特殊なものでない限り基本的には人間の役者が、戯曲(台本)の中の登場人物を演じます。その中には、台詞が一行の役も存在すれば、登場してから幕が降りるまで喋り続けるような役も存在しています。逆に台詞は少ないけれども、物語上で重要な役割を持つ役もあります。
しかし、役者の中には、その役に与えられた役割を理解せずに自分のやりたい事をする人間が悲しいことに存在します。そうするとどうでしょう、演劇というものはバランスを失い、役者は台詞を話しているのに観客は物語が進んでいないように感じる「役者だけが気持ちのいい演劇」の完成です。こうなってしまうと観客は中身のない何かを見ることになり、「無」の時間を体験する羽目になります。
そうならない為にも、役者は自分の演技プランだけを大切にするのではなく、作品全体をとらえ、役の役割、演出上の制約、作品が伝えなければならないもの、他の登場人物とのバランス等様々な要件を考慮したうえ、自分の役を表現しなければなりません。
2、作品の強度と上演時間のアンバランス
映画に上映時間のバラつきがあるように、演劇にも30分程度の短いものもあれば、途中休憩のある3時間以上の大作もあります。この時、演出は作品の強度と作品のバランスを考えねばなりません。
エンタメ作品として、今を時めくイケメン俳優を主演にし、音楽やダンスなどで観客を楽しませることに重きを置いているような作品なら2,3時間以上の作品でもなんとか見ることが出来るが、そうでない場合例えば社会にたいする不満を取り扱ったお堅いオリジナルの作品や、作品がそこまでの強度のないような作品の場合、二時間を過ぎてしまうと観客の方がばててしまう、よっぽど観客を引き付けられるような作品なら話は別であるが、基本的にそこまで長い作品は削れるところを削った方が賢明です。
3、演出家や役者の自意識が悪く作用している
これは1の内容と重複するところもあるが、基本的に演出家の影や役者の演技プランなどは、作品の中に溶け込んで見えないようにならなければならない。演出家なら演出することで、役者なら役を演じることで作品と観客を結び付け化学変化を発生させなければなりません。
しかし、良くない作品というものは、例えば役者が自分を格好良く、或いは面白く見られたいというスケベ心が透けていたり、演出家が戯曲の特徴や強度を無視して、自分の言いたい事、やってみたい演出を表現している。 すると、本来戯曲が持っている要素、登場人物の役割が崩壊し、これまた「役者だけが気持ちのいい演劇」になってしまい、観客は何も受け取るものがない時間を過ごしてしまうことになってしまいます。
まとめ
他にも細かい要素はあるとのですが、大きく分類するとこの3つになります。演劇というものは、懐が深く様々な味付けをすることが可能ですが、個人的に苦手な味付けを紹介させて頂きました。
それでは
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