[しくじりから学べ]クソカメラマンと言われる前に①
おばんです。
最近ちょっと「香ばしい」と言われることに快感がある3chon.です。
さて、ちょっと今回は久しぶりのシリーズってことなので、しくじりシリーズをお話ししていこうと思います。いわば、黒歴史を皆様に曝け出すっちゅーわけです。
まず最初に言っておきます。かなりの香ばしさゆえに偏見と胸糞な文章ですので、これ読むの嫌だなと感じたら、今すぐブラウザバックして、何もみなかったことにしましょう。
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しくじりから学ぶ:「卑屈は写真でひっくり返せ」
時を戻すと、2019年。僕はカメラを一度置きました。
というのも、何があったかというと大阪の某ギャラリーを出禁になった&素行の悪さに、「この界隈みんなクソじゃんね!」と中指を立てたというのもあります。当時僕っていうのは尖ってなんぼの世界で、ほとんど初対面の出展者さんの作品をよくディスっていたもんでございます。今は少なくなってはきましたが、ちょっと言われるとすぐ拗ねて、親しい友人に愚痴ってるのが今の僕。ね、香ばしいでしょ?
「お前らみたいなクッソしょーもない写真とって、プライド?!何ほざいとんねん〜ワレェ〜」
このとんがり精神で色々サークルを乱していたし、某写真サークルでは、自身の写真作品をゴミといっしょに捨てられるという大事件もありで、同時に自分の自信も長く撮った友人との関係もゴミと一緒に捨てていったようにおもいます。
2019年の最初の年、カメラを一度置いた僕は、何気ない日常を過ごしていました。当然、写真活動を止めたわけですから、展示も写真もしなくていいので、刺激も何も感じなくなり、憂鬱でした。何かしようと劇団サークルに入りましたが、自分のしたい表現が見つかりませんでしたし、またそこでも人間関係のもつれで、うまくはいきませんでした。
ある日、堺東のバーのマスターの潤さんから『オレのライブ写真を撮ってほしい』と頼まれました。内心はものすごくやりたかったんですが、ただ、自分がこんなにも情けない素行と言動で卑屈になっている姿を皆に見せたくないから、『気が乗らないかやめときます。』と平たい返事を返してました。すると、潤さんはこう言いました。
『その卑屈は、写真にとって、とても良い材料やと俺は思う。サッチョンのエロスはそこで終わりなんか?ちゃうやろ、何を言われようともとにかくその卑屈な写真で相手をひっくり返してたらええ。言葉でちゃう、写真でや!そんな誰かを傷つける度胸があるなら、いけるやろ。サッチョンなら。』
何気ない励ましでしたが、僕にとってそれは大きな言葉でした。今思えば、この卑屈は言葉にせず、自分の写真に早く盛り込むべきだなと思います。今もそうあるべきだなと思いながら日々を戦いぬこうと思いました。誰だって、卑屈精神はある。
さて、長くなりましたが、私から言える格言はただ1つ。
『人を労われ。皆が戦っている。相手をよく知りたかったら、方法は1つ。よく見ること。』
最近見たネットフリックスに出てきた8歳の男の子から学びました。22も年の離れた子供に教えられるくらいの大人ではありますが今を戦おうと思います!
ではではまたのしくじりシリーズまで〜
ありがとうございました。