見出し画像

海に隣接した家に生まれ育って

#わたしと海

私が生まれ育った家は、すぐ裏が海だった。

海苔の養殖や、アサリの養殖をしている海は、遠浅で穏やかな海だった。
内海(うちうみ)と呼ばれる、半島と半島に囲まれた湾なので
太平洋側の海のように、大きな波が押し寄せてくることはない。
だからなのか、時代だったのか、親が見ていなくても子供だけで勝手に遊んでいたものだった。

堤防で遊んでいると、勝手口から母が「ご飯だよ〜」と呼ぶ。

一人で遊んでいたのか、
兄が一緒にいたのか、記憶はもう朧げになっている。


冬は海苔の仕事を手伝わなければならなかった。
小さな手を悴ませて手伝っていたが
時代と共に機械化されて、我が家も私が小学生の頃に海苔を採るのをやめている。

昭和の貧しい家庭の子なので
読む本もなければ、おもちゃもない。
家の手伝い以外の時は
ただひたすら外で遊ぶことが多かった気がする。

一人で沈む夕陽を眺めながら
子供心になんだか寂しい気持ちになった。

「時には〜、母のない子のように〜、黙って海を見つめていたい」

あの頃の流行歌を一人で海に向かって歌っていた。
もう、半世紀も前のことになってしまったけれど。

先日、30年ぶりくらいで実家の裏の海に行ってみた。

あの頃と違って海に活気はなかった。
海苔を採る人はもういないのか
あの頃何艘も波打ち際に置かれていた船はどこにもなく
草とゴミで溢れていた。

一緒にいた息子の嫁は海を見てはしゃいでる。

あーあの頃、兄と小さな船を漕いで釣りに行ったよな。
兄は多分小学5年生くらいだっただろうか。
小学生の兄妹が二人だけで釣りに出掛けてしまうなんて
自分が親になってから振り返ると怖すぎた。
放任にも程がある。

風景に小学生の兄の姿が重なってうっかり涙が溢れそうになる。

「夕陽も見てから帰りたい」
と笑う嫁に気付かれないように
慌てて笑顔を繕ってみる。


ずっと釣りが好きだった兄は
原点だったこの海を空の上から時々眺めているかもしれない。


私にとっての海は
海水浴やサーフィンで賑わいながらキラキラ煌めくものではなく
日常の風景の中で共に過ごしてきたものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?