見出し画像

「志村けんさんの訃報」と激しさを増す「世代間分断」

志村けんさん逝く

志村けんさんの訃報に接し、日本中が悲嘆に暮れている。

現在50前の私にとっての「志村けん」は、ドリフターズに後から入って来た若いメンバーであり、東村山音頭で白鳥のクビを股間から伸ばし「いっちょめ、いっちょめ、ワーオ!」と叫んでいるお兄さんであり、加トちゃんとのヒゲダンスで私を笑い殺そうとしてくるおじさんであり、「変なおじさん」や「ひとみばあさん」で可愛い老人を見せてくれるコメディアンであった。

デビュー以来、常に芸能界の第一線で活躍してきたことから、私より年配の方も含め、あらゆる世代があらゆる「志村けん」と遭遇してきたはずだ。

それだけに、今朝(3月30日)の訃報以来、SNS上ではあらゆる人が、あらゆる「志村けん」への愛を語る、そんな様子が伝わってくる。

この新型コロナウイルスが特に高齢者の間で致死率が高く、感染確認から驚くほどのスピードで重篤化する性質を持っていることが分かってきて、それ故に、まるでそんな心配をする対象のように思えなかった…でも実際は70歳という高齢者でもあった志村けんさんをあの世に連れて行ってしまったことに切なさを感じるとともに、その死を悼む数多の悲しみの声に触れていると、私が最近危惧するある現象についても、志村さんが何かを伝えようとしているように思えても来る。

このひと月で一気に変わった情勢

新型コロナウイルスがこの日本社会でも深刻な問題として捉えられるようになったのは、2月末にあった政府による「学校一斉休校要請」が1つの転機となった様に思う。

それまでは、海を渡った中国の、それも内陸にある武漢が感染源であるこの感染症が、日本社会にこれほどのダメージを与えると、多くの人がほとんど想像出来ていなかったはずだ。

それが僅かひと月の間に、東京を中心に不要不急の外出自粛が叫ばれるまでの展開を見せ、感染爆発を起こした欧州やアメリカと同じような状況が、いつ日本社会に訪れてもおかしくないと言われるまでになってしまった。

「密閉・密集・密接」が禁忌となり、この社会で生活するほぼ全ての人が、それまであった日常生活を送ることが難しい状況を強いられている。

そのような状況下で、この新型コロナウイルスについての情報が日々交錯し、終わりの見えないストレスに満ちた生活が続き、そのフラストレーションの矛先が他者に向く場面も増えているように思う。

そんな中、私が最近危惧しているのは「世代間の軋轢」から始まる「世代間分断」である。

死亡率

世代間分断「バカ若者」と「老害」

この感染症が「高齢者や基礎疾患を持った人が重症化しやすい」一方「若年層は軽症で済む」という特性を持っていることが分かってきたことで、にわかに「世代間の軋轢」を生み、そこに突き付けられた「不要不急の外出自粛」によって一気に「世代間分断」に発展する事態が散見される。

その多くは、互いの「行動傾向」を批難するところから始まり、「バカな若者」「老害」と言った具合に、それぞれの世代が互いを相容れない状況を生み出している。

世代的に「若年層」にも「高齢者」にも含まれず、その時の気分で若くなったり、年寄ぶったり出来る50前の私には、若い人が少々向う見ずに外を出歩くことも、老人が散歩や寄り合いといった行動様式を崩しきれないことも、理解するのがそれほど難しくはない。

もちろん、多くの「若年層」や「高齢者」が用心しながら、閉塞感のある生活を送っているからこそ、そこにストレスが生み出されてしまっている側面は大いにあるだろう。しかし、そう思う他方で、有り余る体力を抑えつけられなかった若者が、目的もなく繁華街に出たり、居酒屋に集まったりするのを感覚的に理解することは出来るし、老人が家族の為にと毎朝ドラッグストアの前で行列に並んだり、足腰を弱らせないようにと、散歩を欠かさなかったりする心情も理解することが出来る。

志村けんとユルゲン・クロップ

現状、我が家には「若年層」と「高齢者」にあたる人がいないので、あくまで想像の域を出ない話ではあるが、仮に私に20代の息子がいたとして、彼がこの状況下でも、満員電車に揺られながら通勤し、激務を終えたその帰路で一杯ひっかけて帰ってきたとしても、年老いた父が私たちの心配をよそに、外でこっそりトイレットペーパーを調達してきたとしても、私は彼らを頭ごなしに叱りつけたり、批難することはきっと出来ない。そして、もし万が一、彼らが新型コロナウイルスに感染してしまったとしても、「バカ若者」「老害」と一蹴するどころか、彼らに対し「死んでくれるな」と願うだろう。

つまり「若者」も「老人」も、我々にとっての「志村けん」なのだ。同じ社会に生きる愛すべき人間なのだ。

サッカー・英プレミアリーグでは、リーグ再開の可能性が日に日に潰えていく状況となっているが、今季圧倒的な強さを誇り、約30年ぶりのリーグ優勝も間違いなしと目されていたリバプールFCの指揮官、ユルゲン・クロップ監督は、新型コロナウイルスによって苦しむ世界に向け、こう発信した。

10年、20年、30年あるいは40年後に現在の状況を振り返った時に 
あの時は、世界中がこれまでにないほどの団結力と
これまでにないほどの愛情や友情などを示した時だったね、と言えるといいね。そうなったら本当にいいよね。
こうした状況を乗り越えている最中には、そういった見方をすることは難しい。病に苦しんでいる人たちにとっては特に。
けれども、そう思える日は将来くるはず。

人間同士の繋がりにまで傷を受けてたまるか!

人間誰しも、自身の立つポジションによった考え方をするものだ。

そして、先の見えない閉塞感に満たされている今、「仮想敵」を作り出し、それに対し攻撃することで、心情的なバランスを取ろうとしがちにもなろう。

しかしながら、その「仮想敵」は、かつての自分であり、将来の自分であり、そして「志村けん」でもある。

こんな時だからこそ、自制心を持ち、他者に愛情や友情を示すことをしていかなければ、社会はこのウイルスによって、人命や経済的ダメージだけでなく、人間同士の繋がりにまで大きな傷を受けてしまう。

「若者」を愛し「老人」を愛そう。

そしてこの理不尽な世界に身を置かざるを得なくなっている自分自身を愛そう。

いいなと思ったら応援しよう!

毛利 龍
『フットボールでより多くの人々の生活に彩りを生み出せたら』 と考える、フットボールライター(仮) 2017年、25年続けたフラワーデザイナーの仕事に別れを告げ、日本サッカーの為に生きることを決めてしまったが、果たしてその行く末は!?