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結婚


ヒトという動物の機能としては、婚姻していなくとも繁殖行為が可能だし、繁殖それ自体も可能である。また富を分け合うこともできるし、共同生活を行うこともできる。

ではなぜ、人間は「婚姻」をするのか。
そもそも婚姻とは民法で用いられる法律用語であり、民を縛る法制度のなかで確立されたものである。おおよそ、社会的な承認を得ることだ。

婚姻は届出により成立し、「婚姻の効力」は夫婦で同じ氏を称し、夫婦は同居し、互いに協力・扶助しなければならず、婚姻費用(生活に必要なお金)を分担しなければならない。とされる。

果たして、愛を媒体とする集団形成の仮定において、社会的な承認を得る必要があるのだろうか。法律により一定の自由が拘束され、同時に義務が課される必要があるのだろうか。

一方で、制約さえも受け入れることができるからこそ婚姻は美しく、愛は美しいという意見もあろう。実際に私もそう思う。
そして同時に、僕たちは「自由を放棄して義務を課されること」を愛の証明としているのか。そうでなければ成り立たず、信じ、認めることのできない愛を求めているのか。
そんな寂寥感も併せ抱いている。

だが、そんな婚姻にも特権がある。「子の親になれる」ことだ。
現行の法制度では、婚姻していなければ子を認知できず、親権を持つことができない。
「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と『推定』する」というのが民法が下した判断である。そして同時に、嫡出の承認/否認をすることができると定めている。

どうやらここで、前述した「愛の証明」は綻び始める。
たとえ婚姻中に妻が懐胎した子であっても、社会的には夫の子と推定されるにすぎず、夫には子の嫡出を否認する権利を与えている。

とりわけ救済措置としてであろうが、夫に子の親権を持たないことを許容している。挙句の果てには「婚姻の取消」や「離婚」すらも認めている。

法は社会を映し出す鏡だ。必要性に駆られて定められる。一対の男女の関係を社会的に承認する必要が、歴史上あったということになる。

婚姻制度と関係が深い制度に「戸籍制度」がある。私たちが婚姻する際、しばしば「入籍」という表現を用いる。婚姻や離婚により、新しく戸籍を作ったり、他人の戸籍に入ったり、抜けたりする。

どうやら婚姻制度の前提として、戸籍制度が大きく関わっていそうだ。

戸籍は、法務省HPによれば「人の出生から死亡に至るまでの親族関係を登録公証するもので,日本国民について編製され,日本国籍をも公証する唯一の制度」とされている。

現在の戸籍といえば、親族に関する国民管理や、相続などの財産管理、そしてそれらに伴う徴税などの用途に用いられている。

このように治安行政・政策目的の観点で作られているのが現代の戸籍だと分かる。

この戸籍、起源はどこにあるのか。

遡ること飛鳥時代、645年に行われた大化の改新。これを受けて670年に「庚午年籍(こうごねんじゃく)」が作られた。日本で最初の全国的な戸籍である。地域の住民を管理し、徴税や徴兵に役立てられた。

そして明治4年には戸籍法が制定され、翌年には戸籍法に基づく「壬申戸籍」が作られた。そして飛鳥時代と同様に、徴税・徴兵に用いられた。

これが、現行の戸籍制度の礎と言えよう。

戸籍制度の歴史を見ると、いつの時代も政策目的で整備されたように伺える。
この上に成り立っているのが、民法に基づく婚姻制度なのだ。

実は、「婚姻」を規定する法は民法だけではない。「憲法」だ。

憲法第24条は、婚姻を次のように規定する。
「婚姻は、『両性の合意のみに基いて成立』し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

両性の合意のみに基いて成立、いわゆる「事実婚」の状態である。

一方、民法は婚姻の届出により効力を発生させるとしている。

歴史的に見て、政策目的として定められたとも言える戸籍制度と婚姻制度。

愛の証明、経済的合理性、種の繁栄。

人間はなぜ結婚するのか─。

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