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お前たち裁判と実チンとソルチン(20241109annkw)

お前たち裁判

先日の放送を聴いて、少し分かったことがある

まず、改めて復習をすると【お前たち裁判】とは、オードリーのオールナイトニッポン東京ドームライブの公演終了後に、若林さんが日向坂メンバーに「次はお前たちの番だな」と語った二人称が【お前たち】なのか【日向坂】なのかという問題で若林さんと日向坂メンバーとの認識のズレが生じていること

そして、先週の放送で松田から「そんなに若林さんが言うなら、もういいですよ」と窘められるほどに、若林さんは、折れずに「お前たち」と言ったのか、言ってないのかを拘り続けている

私は、この論争をずっと聴いてられるほどに好きなのであるが、なぜ若林さんは、エンタメ+ちょいガチで否定し続けるのか、軽く受け流してもいいレベルなのにと引っ掛かった。

自身の言動には責任を持ちたい
言ってないことを言ったと言われることへの抵抗がある

私は先週の放送を聴くまでは、ただ単純に言葉自体に引っ掛かっているのだと解釈していたが、それは少し浅瀬だったことに気付かされる。

若林さんは、日向坂のことをお前たちという存在でみていない、プライベートでお前たちと思っている奴は本番でもお前たちと思って接している話しているという

つまりオフでの「お前たち」という言い方は、ごくせんで言う先生と生徒の教える人と教えてもらう人のような縦の関係性が読み取れる。
「お前たち」と扱っていないということは、縦ではなく横の関係、もっと言えば、リスペクトがある相手に対して言うわけないじゃないと私は受け取った。

日向坂からしたら若林さんに「お前たち」と呼ばれることは、親密性があってのことだから決して嫌と捉えずに、むしろ嬉しいと思う。

ただ、若林さんとしては真意が分かってもらえていないことがショックであり、お前たち論争の言った言わないの拘る部分なのかも知れない。私は、言葉の表面だけを掻っ攫っていたので浅はかで恥ずかしい。お前たちと扱っていないは、敬意の表れのようで、やっぱり誠意が深い人である。

そして春日の話は1ミリも覚えていないと言われる春日は、さすがのエンターテイナー性の持ち主である。春日の1ミリとして、これはこれで語り継いでほしい。

実チンとソルチン



銭湯や温泉でチンをいわゆる実チンを隠す人と隠さない人とで分かれる。春日は、歩く腕の振りを活かして隠したり出したりチラチラさせるという。

私は、若林さんが好きで若林派なのだが、実は春日派なのかも知れないと思い知らされた。ナニを隠そう、私もチンチラ派である。

全てを全開で行くにはマナー違反のようで抵抗があるが、完全に隠すのも自意識過剰のようで何か違う気もする。見苦しくない程度に隠すのがマナーだとチンチラに辿りつく。タオルを使う場合は、前を隠すようで隠してませんよを演出するように、ふわっと添えるチンチラスタイルでやらしてもらっている。

そして私は、心の方、つまりソウルチンも開示することが下手くそだ。自分のことを話すのが苦手である。相手がどう思うかという自意識がやはり邪魔をしてくる。

しかし、コミュニティの中では、ソルチンを出して打ち解ける必要もあることを理解している。ただ全ての私の心の中をオープンにするくらいなら実チンを出した方がマシである。聞かれたら答える程度のチンチラがいい。

このことからも実チンとソルチンには、強い関連性があるといえる。温泉で実チンをフルオープンしている人は、社交的で自己開示が得意な人。反対に隠している人は、自分を表現することに苦手意識を持つ内気な人が多いのでないだろうか。そして、そのどちらでもないチンチラは、公的自己意識を持ちながらも、自分の中で譲れない正解や正義がある変態気質がある人と分類される。

これは、文献発表されるべく内容なので世界に発信していきたい。
きっと世界が優しくなる。

普段は、見せてって言われないと見せないけど、ソルチンをnoteなら書けることがある。

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