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好きな服は着たいけど、似合わない服は着たくない

先週のannkwで若林さんが年齢にあうちょうどいい服装の話をしていた。ほうれい線が深くなってジャージやスカジャンが似合わなくなってきたと…

これ、すごい分かる。

少し前、ジャージを取り入れたコーディネートに挑戦しようとしたのよ。
「ちょっと着崩した遊び心」なんて気持ちで試着室に向かった。鏡に映る自分を見て思ったよね。着崩してるどころか、崩しちゃってる。崖だったら土砂災害警報でてる。

試着するじゃん。
鏡見るじゃん。

顧問じゃん。

鏡を見て瞬発的に「顧問じゃねぇかよ!」とツッコんでしまった。

思わず声に出しちゃったから、慌てて口を押さえた。店員から「どうしましたー?」が無かったのが、せめてもの救い。

これ、どういうことか。
若い子が着るとおしゃれな「トラックジャケット」なのに、おじさんが着ると一気に「ジャージ」になり、そのまま出来上がるのは体育会系の「顧問」が完成する。もう完全に中学校のあの先生。竹刀持ってそうな、どこかで見た、あの感じ。


何がショックだったかといえば、脳内の自分が今でも20代くらいのイメージのままなのよ。おしゃれコーデを想像するたびに、若かりし頃の自分で試着してる。きれいな肌にシュッとしたライン、どんな服も「似合う」の一言で片付いた日々。

でも、現実の自分は年を重ねている。それ自体は悪いことじゃない。顔のシワだって、今まで積み重ねた経験値みたいなもんだと思えば素敵だろ。ただ、服装合わせの際、この「脳内の若い自分」と「鏡に映る今の自分」のギャップには慣れない。


面白いもんで、服装だけじゃなく、自分の社会的ポジションも似ている。
以前は何かに全力で取り組む「選手」ポジションだった。それがいつの間にか、「チーム全体を見る顧問」の役割へとシフトしている。責任を持つ立場になり、若手たちをサポートする側に回る。それはそれで楽しいし、不満もあるし、やりがいもそれなりにある。

でも、その一方で「まだプレイヤーでいたい」と思う気持ちもどこかにある。それって結局、好きな服は着たいけど、似合わない服は着たくないという、あの感じに似ている。自由でいたい。でも、年相応の責任も捨てたくない。

結局のところ、どんな服を着るにしても「今の自分にフィットするバランス」を見つけるのが大事なのかと思う。それは服だけじゃなく、仕事も人生も。

若作りもしないけど、老け込むわけでもない。無理はせず、自分らしい楽しみをするのが大人の余裕なのだろう。

余裕なんて全然ねー

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