健康に生きる事・暮らす事…とは
10数年前に、言われた言葉が今でも
忘れられずにいます。
『これからは、健康を買う時代だよ。』
と、とある場面で言われました。
どんな意味合いで言ったのかは、その場で細かく
聞けはしませんでしたが、ここ数年で友人の言葉を
噛み締めている気がします。
や、そもそも健康って何だろう?
最近の私は、この健康の意味さえも何だか
訳が分からなくなりそうです。
健康のために働いて、暮らす。
いやいや、逆かな?
健康だから働けてるし、暮らせる。
正直どちらでも良いのです。
(所詮、私のセカイの話ですから)
健康のありがたさ、尊さは語ればキリがありません。
なんだかなぁ、と思うんです。
大昔の人々は、おそらくは今より少なからず
不便な生活をしていただろうけど。
そりゃ、健やかに暮らせれば御の字だとも
思いますし…。
病にかかったりする事もあっただろうし、
衛生状態・栄養状態も今の時代よりも…
(ここら辺は割愛させていただきますね)
持って回った様な話で、自分でももどかしいのですが
じゃあ、今なぜここまでの文明レベルや
利便性も向上しているであろう現代で
こんなにも【健康】が求められているのか。
物質的には、かなり豊かではありますし
(ここ数年の細かな出来事を言うと、色々と雲行き的には怪しいですが)
満ち足りては、居たはずなのです。
でも、何となくこれから先の未来に先細りの様なものを
感じてしまうし、きっと漠然とした不安要素が
いつまでも靄の様にかかっていて、
足元でさえ本当はよく見えていない気さえします。
確かなものと言えば、実体のある我が身。
我が身こそが現実とを繋ぐかけがえのない存在。
だから、尚の事しっかりと大事に守りたいし
出来る事ならば健やかであることを願ってやまないのかと
思うのです。
【以下、あとがき的な…】
うーん、自分で書きながら相変わらずの文章力で
お恥ずかしい限りなんですが
ニュアンスでお察し頂けるととても
助かります。
本当は、沢山沢山書きたい事も思いもあるんですがね…
よく分からない氣がソレを書くのは
およしなさいと言っている気がして。
着地点は特にありません。
生きています、
鼓動を感じます。
血があたたかに、体中を大きく巡って
心はぽかぽかしています。
うん、今日もありがたい事に
生きております。
立春の空気は、まだ少し冷たいですが
梅の花が咲き始める季節。
朝が来るのが徐々に早くなって
目蓋の裏側に陽の光を赤く照らされます。
まっすぐに、歩き出す。
新たな季節と共に。