事の顛末まで考えているのか?
お山がありまして
電気を作るための、ソーラーパネルを
大量に設置することになりました。
雇用が生まれます、人がトラックで行き来するので
それにまつわる設備を整えます。
自販機なんかも設置しましょうか。
今までほとんど、行き来が無かった地域に
多くのトラックが行き来する様になりました。
自販機も、売れに売れて中身の商品の補充が
追い付きそうにありません。
嬉しい悲鳴ですね。
小銭が山の様にたまります。
数年を掛けて、山は大きく切り拓かれて
太陽光発電のパネルが大量に
取り付けられました。
工事が終わり、もう人の行き来は以前の様に
山へは無くなって行きました。
山は切り拓かれた事によって、その本来の
姿を損ないました。
むき出しの部分に、人工物が並べられ
山、本来の雨水の保持がままならなくなります。
この、先を想像できますか?
豪雨が起こればどうなるか想像した事がありますか。
パネルの対応年数と、処分の仕方を知っていますか?
ゴミと呼ばれるものになった時になったその後の事を
想像して行動できていたのでしょうか。
良し悪しは、どこにでも在り
これだけが判断基準とは言い切れません。
どの立場・視点に置かれたかにもよって
物語の様な現実は姿形を変えるからです。
批判でもありません。問題提議でもないでしょう。
ただ、純粋に『この先がどうなるのか?』
知りたい、知っておくべきだと感じるのです。
【少し話題を変えて】
現代においても、公害と呼べるものは多くあります。
学校で習う様なもの以外にも、より多く
細かく、見えずに身近に深くある気がします。
そのきっかけが、もし人間の望む『便利な生活』
が原因だとしたら。
メガソーラーの動画が見れますよ。
と、聞かされて。(数年前に言われました)
今の私なら『そんなん別に見たくも無いわ( ゚Д゚)』
と言えるでしょう。
私は、今のマインド的にできれば
自然物寄りでありたいと思って生きている気がします。
人工物が『悪い』とは言えません。
ただ、行き着く先を思うと、残る何かが
気がかりなので、多くのものを取り入れたいとは
思わなくなって来たのです。
お読みくださいまして、有難うございました( ^^) _旦~~
見たい景色・見られていますか?