思い込み、という罠に掛からない為に
朝から、強めで失礼します。
おはようございます、聲樹です。
先ほどの、私の名前について。
大事なのは、名前の話ではなくて、どう、物事を
見るのか、捉えるかという話です。
私、去年のnoteでは心がグラグラでしたが、
去年の秋以降から、心の水面がとても穏やかなんです。
何故でしょう?
単純に、考え方が変わってきているからです。
あ、特に何にも起きていませんし
特別な思考も、教えもなんもありません。
落ち着いたのでしょうね。
もっと、言えば、自分の向かっていた不安性質に
飽きた。とも、とれます。
あー、○○しなきゃ、○○でなきゃいけない!!
とか、自己制約が多かったのです。
いちいち、ワタワタを演じていた。
あほくさくなりました。
自分を奮いだたせるのも、自分であれば
追い込んでしまうのも自分でしかありませんでした。
(私の場合は、です。)
何でも、大げさに考えたり被害妄想したり。
でも、案外と世の中、とかセカイと言う概念の中って
あっけらかんと、している気がしました。
私は、セカイを見すぎてしまうんです。
生まれた時から、気質的な感覚過敏ですので
受け止めすぎてしまう。
センサー過敏とでもいうのかな。
痛い、うるさい、怖い、臭い、汚い、質感が悪い、
歯触りが嫌い。とか、そういう事があると
この世の終わりの様に思っていました。
これが、一生続いたらどうしよう…。
笑えます、何故そこだけ一生続く事象が起きるのかと。
ちょっと考えなくても、分かる話なのに、
感覚に、脳も心も支配されがちでした。
ここで、大切なのは…深呼吸。
気持ちを落ち着かせる、浅い呼吸を
深いものに変える事です。
冷静を目覚めさせるには、時間を少し置く事かと
感じています。
客観視、ハッとする事です。
で、先ほどの私の聲という漢字の話に
戻ります。
見てみて、どうでしょう?
ばらばらに、見てみると…声と、役の右側と、耳しか
書いてないんです。
なぁーーーんだ。
俯瞰してみてみると、大したこともない。
難しい、と考えてしまうのも考え方の
一種の癖だと私は思います。
でも、単純に見るのではなくて
サマを、冷静に観察する、この感覚に近いです。
出来ることを、取り入れるものを増やす考えとしては
心や、思考に落ち着きが欲しいものです。
急いては事を、仕損じる。
なのです。
思い込みは、悪く働いて、定着すると
とても面倒です。
適度にサヨナラしたいものです。
最後まで、お読みくださいまして
ありがとうございました💕