オルトレキシアと言う概念を知る
簡単に言えば、『健康のための食事以外を摂らない人』と言う解釈を、私はした。
外食をしなかったり、健康を損なう食事に対して抵抗がある。のかな。
自分の健康を脅かす存在は、確かに嫌だと思う。
うんうん、分かる。ものすごく分かる。私も、そういう時期は時々やって来るしでもすぐに飽きる。
え、だって別に『健康の為だけに生きている訳ではない。健康は、生命体としてのあくまでも状態の1つだから。』って思うので。
ウチの母親が、一時期オルトレキシアっぽくなっている私を心配していた。
『大丈夫、昨日ラーメン喰って来たから🍜』健康はそりゃ、大事で尊いです。でも、一般的に売られているものをもちろん買うし、食べますよ。
自分の思い通りに出来るセカイの内は思ったものが手にも入るでしょう。気を付ける事も出来ますし。
でも、セカイは時々混乱します。自然災害・紛争など起きれば・・・生きていく為には何でも、食べれて受け付けられる心と体も結構大事だと思うんです。
(自分で全部調達できれば良いですが、難しいですよね)
ウチの父親が昔からよく『砂漠で泥水しか無かったら、ソレ飲むし』とか、かなり究極の選択の話もしてくれたせいで?おかげで?『確かになぁ…』と、比較的昔から考え方の様々さを体感していました。
人間にとって、難しいと感じる事はなんでしょう?
私は『バランスを取りながら生きて行く事』だと思います。偏り過ぎると、見えにくい物事も存在する訳で。強迫観念的になるのではないかと思うのです。
ぶっちゃけ、なんでもいいんですよ。でも、ほどほどにね。義務も課す事も思い込みであったりもします。(全部ではない)
喜びを感じ心にゆとりが生まれ、周りとの軋轢が無いのであればひょっとしたら満たされてるんじゃないですかね。おまけに、体調もよければ状態としてラッキー♪かもしれません。
でも、たとえそうでは無くても『変化の波は絶えずあるものだから、傷付かなくても大丈夫』また巡って来るものですよ。
今の瞬間が最適・数十兆越える細胞が味方なんですからね。こんな心強い事、無くないですか?最適化がこの先も続いていくって思うと生ある有難さをひしひしと感じるのです。
『健康・健康』って言われ過ぎると本当に
脅迫的な気もしますよね。
まずは、食にありつける事への感謝…
多くの方々が関わってくださり、食事として
目の前にある訳です。
ゲームみたいに、ポッと出て来ることは無いですから。
(自分で狩りからするゲームでさえありますよね)
今日はこの辺で、
お読みくださいまして有難うございました( ^^) _旦~~