最終走者としての人生
末代になるであろう、自分の人生。
渡されたバトンを、渡す人がいません。
(居た時もあったケド…)
でも、走るのきらい( ´艸`)
歩いてでも良いですか?
ちょっと、立ち止まってる時期もあるんですけど。
でも、私は自分の人生のゴールを知らんし
設定してない。
目標も大袈裟に設けていない。
向上心が行方不明に等しい。
だって、生きてて暮らせてて夫も
有難い事に居てくれる。
こんな私にだぞ…?( ˘•ω•˘ )身に余る光栄。
モノ好きの極みとでも言いましょうか。
最近、久し振りにゲーセンに行きまして
どうしても欲しい景品があり。
少し出費をすれば確率のゲームではあるけれど
『絶対取れる』と確信していました。
(絶対取れる時は見たらすぐ分かります)
夫は『諦めるかと思っていた。』
と言いましたが。
もちろん、景品は獲得。
ヤッター٩( ''ω'' )و
こんな奴なので真剣に人生を歩んでいけるのかと
本人でさえも、時々は心配になります。
こんな事を言ったら、顰蹙を買いそうですが
もうなんとなく余生な気がします。
名前が変わってから、私は以前の人生を終えて
違う人生を生きてはいますが。
不安のお友達→怖い・かなしい・スカスカする・嫌だなぁ・うすら寂しい。
不安って不安の癖に(失礼か)
めっちゃ友達(ノ・ω・)ノオオオォォォ-い。多い。
人生において友人5人も居たら、キャパオーバーしそうだよ。
最終走者で、バトンは家にもあるラップの芯!
本当に、なぜかラップの芯を半年以上大事にとっているのは
スピリチュアル的には『一応忘れてないぜ』アピールかも。
潜在意識的にね( ´艸`)
たくさん、業を貰って産まれて来たので
今世で解消できる気が全くしないけれど
マイペースに生きて行くのだと思います。
ちなみに、時柱空亡で華蓋もあり…
実はお得道もなぜか済ませていたりもするので
この先もしかしたら、と妄想したりしています。
自分の人生を間違えても『かわいそう』とか
『苦労ばっかりでもう嫌だ』とは思うのは
キツイので、多少の波乱万丈があるもの。
その先に今の自分がいる。
自己憐憫は一度落ちると、抜け出せそうにない
みたいなので注意したいものです。
今日も歩いているのか危ういですが最終走者として
のらりくらりしているかと思います(●´ω`●)
アキアカネ おさきにどうぞ 大空へ
今日もお読みくださいまして有難うございました( ^^) _旦~~