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「砂切時計」−さぎりどけい−なぜ、産まれたんだろうとか、いつもそれなんだけど

結局のところわかりません

悩んでいる自分が好きだったこともある

面倒臭くて放り投げてそのままのこともある

考えてるのも疲れて、あーやめた

でも、結局は自分でいていいと思う

嫌すぎた頃よりは嫌で努力しただけ変わったから

脱皮、じゃないにしろ

一皮むけたってことで❖

この数日、調子悪かった

働きに行ってしまうと、それなりに頑張ってしまい

帰り着くと後が続かない

風がビュービュー強くて寒いのが続いていたからか

低気圧はやっぱり自分でも知らずに体の芯に忍び込んでいた

調子が悪くなる日は

すーっと眠ってしまう

頭痛とか目の前がチラついたり揺れたり

トイレに行くとずっと泡立ってる

腰の内側に張り付いてる中のほうが痛くて

水分摂らないせいもあるけど、なんか赤いな、と思った

嚢胞破裂の時の血尿はたいてい疲れが出て限界の時だ

関節や股関節も痛いわ
風邪っぽいのだろう

熱っぽくなってくるけど、寒くて眠れない
熱くて眠れない
夜中に最低5回はトイレ行くから、いつも目の前がすっきりクリアじゃない

すーっと眠ってしまう時は、夢を覚えていない
そう文字通り暗い闇の記憶
眠りが浅くてよく起きる時は、たいてい夢を見ている
私の夢はカラーである

最近はずっと死んだ母ちゃんが出て来ていた
赤くてデカい車(しかし真っ赤ではなく、くすんだような赤)に、知らないオバチャン二人乗せてやって来たり
三途の川の渡し舟ならぬ
玄関横付けの水上ジェットカー(⁠✷⁠‿⁠✷⁠)

何か、小さなアクセサリーの小袋詰めをたくさんくれるのだが(売れ?とか言うのかな?)
私は趣味じゃないからいらない!とかなんとか、足元に投げつけたり…

成人しているはずの甥っ子が、可愛いかった小さい頃に戻って私を笑って見上げていたり
大人が子どもに戻っている姿で夢に現れると、今現在その人の身に変事が起きていて、凶夢だと言う

疎まれてはいるが、甥っ子の行く末はやはり気にしている

テンションが上がらぬまま
と言うか、テンションが一定のまま(私は人に対してリアクションが大袈裟に上がるので、自分的にはこの一定感が好ましい)仕事にゆく

見晴らし台の庚申様を見ても、ふっ(ಡ⁠ ͜⁠ ⁠ʖ⁠ ⁠ಡ)と頼りなく笑い、時短を理由にいつもの庚申様をすっとばし

どうせ帰り道に見るからいいやと、帰りは後ろ見で
そして最近は急勾配の地蔵坂は通らないようにしているのだが、気が変わって坂を下りる
坂の下には六地蔵様と、やはり庚申を含んだ塚がある
そしていつもの横道、田んぼ道

反対車線を遮り立つ、遠目で見ても、巨大な鳥がじぃーっと斜面側を見ている

デカイ

脚、ほっそい

青鷺である


ちょうど向かい車線からも車が来ていて
そろそろ徐行して過ぎ、頭を下げる
向こう側の車の二人も青鷺の雄姿に笑んでいるようだ

真黄色の毒独しい眼は一瞬のことで、こちらを見たかのような錯覚があったが、唯我独尊的な立ち姿は人間の車などに恐れる風もなく、記憶はそのふっくらとした蒼みと灰いろの胸毛を真っ先に捉えていた

全体的には細長く大きい
一瞬、鶴?かと思ったくらいだが、背中は白んでいるが、胸から腹下まで青黒い

青鷺はとても大きく育つ鳥なのだ

まだ西日が落ちて行く飴色の光りを受けていたので
青鷺もまた、それを感じていたのだろう

今日は久々に地蔵坂を下って良かったなぁ

良いものを見た

砂の数ほど
陽の光りの煌めきも
潜れば潜るほど湿って硬い粒子の底も
日時計砂時計は狂うことなく巡り落つるのだろうか

私たち人間もまた
粒子の集まりでありながら
話したり動いたりするのだから
砂のように細かく小さく
恐らくはもっと目に見えないくらい

悩みさえ見えない愚かさなのに
私たちは道義と言うのが解っていて
誰よりも早く有意義に生きている
それは人にも言えることだ

孤独でありながら
人の内でよりその孤独を味わう
己の内でよりその孤独に溶けて理解する

深く濃く交わる必要はない

けれど誰しもが円の外を廻っている

私は他(た)の摩擦によって知ることが多い

自分の枠からは怖くて出られないが、憧れもある


揺さぶられる枠のその中で、自分の内なる静けさに身を休ませられるのは幸福である




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