舞台『幸せになるために』
ダンス・ボーカルアイドルグループ、TOKYO喫茶の小泉茜さん。
彼女が2020/10/21からの舞台『幸せになるために』に出演していた。STRAYDOGさんの作品にはこれで3度目の参加だ。
私的な理由で思うところもあり、この公演を全て観よう、そう思った。全公演の予約を入れ、仕事を調整し公演期間に合わせて長期の休暇を取り、10.21、その日を迎えた。
2020.10.21(水)。初日。
1985.8.12に起きた日航機事故。それをモチーフにした映画の撮影のために集まった5組の家族。撮影が進むにつれて現実の事故とリンクしていく登場人物たち。
彼女が演じるのは、父・母・兄・妹のどこにでもありそうな、とある4人家族の娘役。タレント志望の普通の少女。序盤は映画撮影のエピソードと5つの家族の日常の風景がコラージュのように語られる。が、次第に現実の事故と5つの家族の物語が引き寄せられていく。そのシームレスな展開は不思議な感覚だった。
後半は生々しい事故の描写がすごい熱量で演じられていく。当時を知る人には忘れられない、ヘリコプターにロープで釣り上げられ救助される少女の映像。彼女のもうひとつの役どころはその少女だった。
冒頭の普通の少女。「映画の撮影」で群舞を踊る姿。キャストが皆笑顔を浮かべて踊る場面を観ながら、目の前の景色に違和感を感じていた。劇中の撮影風景での表情は、映画撮影の物珍しさにはしゃぐ普通の少女のそれであって、自分も自然な演技に惹かれていた。
劇中歌がある。劇の中盤、彼女と中島舞香さんと二人でソロとハーモニーを交互に交えつつ歌う。バラードを情感たっぷりに歌う姿は、歌唱力も相まって序盤のコメディタッチの物語の景色をガラリと変えていく。
後半の役どころは、あの衝撃的な救助の映像が完全にダブる。リアルタイムで見たあの映像が、現実に目の前で再現されていく。事故後の山中で、自衛隊員の「生存者は!?」の声に、声もなく弱々しく手を挙げ、折り重なる遺体の中から抱えられて救い出される少女。衰弱しているだろうその姿の、リアリティのある演技に胸が締めつけられる思いだった。
現実の事故が起こった時にはまだ生まれてさえいなかった世代の彼女。そして若いキャストの皆にとっては、想像で補うにはあまりにも凄絶な事故。皆どんな思いで開演を迎えたのか。
まだ初日。舞台は重ねる公演の中で成熟し完成して行くもの。残る公演の中でどこへ到達するのか、楽しみに観ていく。
2020.10.25(日)。千秋楽。
この日は2公演。昼公演は前日からキャンセル待ち、夜公演もキャスト経由の取置きが数席あったものの開場の段階で満席のアナウンスがあり、無事埋まった模様だった。
5つの家族の物語。このうち3家族には実際の事故で亡くなられた方とその遺族がモデルとなっている。
坂本九さんをモデルにした中本家。劇中の映画の監督と離婚した元妻子の黒沢木家。町工場を経営する夫婦と三人娘の田崎家。この3組だ。
そして日航の整備士であったとする佐川家、ごくありふれたサラリーマン家庭である福本家。登場人物はこの5家族。
物語はモデルがある3家族が主軸となっていくのだけれど、5日間、ここまで6公演を経て、いくつかのセリフがなくなり、演出・演技は少しずつ修正されてきた。ほとんどは5組の家族の団欒のシーン。どれも大筋とは関係ないが、描かれるキャラクターが5日間をかけてより立体的になるにつれて変わっていった印象がある。
例えば中本家と福本家が撮影の帰りにすれ違う場面。何公演目からか、中本家の3人が捌ける時に「坂本九のレットキス(ジェンカ)」を踊りながら捌けるようになる。笑わせながらも、坂本九を知る人にとってはハッとさせられる変化。
例えば佐川家の父親が「浮気してる」という息子の軽口に、その頭を叩くシーンは途中でなくなる。強い父親、よりも、実直で真面目な父親の印象がより強くなった。
後半の事故に関する描写では、セリフは変わらないのに、キャストの演技が回を重ねる毎に熱を帯びていくのがよくわかった。
物語の転換点は、息子を事故機に乗せるまさにその時、急に錯乱して「乗ってはダメ!」「あなたが語り継ぐ必要は無い!」と引き留めようとする母親を引き離し「お前が始めたことだ」と(後の)監督が言い放つ場面。
ここで前述の劇中歌が歌われる。叙情的なバラードが流れ、途中に、母親の独白を挟み、歌が終わる。歌う2人にも、それぞれの家族が出てきて少しの団欒と別れの場面が描かれて去っていく。もちろん残る3家族のそれも、静かに歌が流れる中で描かれ去っていく。2人はその後も最後まで、より情感を込めて歌い、そして舞台上の「色」が変わるのだ。
劇中歌。中島舞香さんの歌声はどこまでも真っ直ぐで素直な印象。茜さんは入りのメロディが違っていて難しいのに、すっと歌に入りこみ、少し個性のある歌声で続いていく。サビは二人のハーモニーでそれぞれが主旋律とハモを違えて歌う。1コーラス目は茜さんが主旋律、その後は彼女がハモに回るのだけれど、それ自体が大変なことで、二人の歌唱力、基礎の高さに驚いて聞き入るうちに、物語は佳境に入っていく。
(映画としての)飛び立つ事故機の描写の後、事故発生の報を受けた残されたものの描写、そして…。
事故後の現場描写は、自衛官の独白によって語られる。この長い長い独白(3人の自衛官役によって語られる)は実際に事故の翌日現場に入った自衛官が後に語った言葉が使われている。そこに演者の熱が、思いが加わり、強く感情を揺さぶられる。
生存者救助が描かれたあと、救助された少女、茜さんの独白が続く。これも実際に救助された12歳の少女の語った言葉である。事故が起き、あたりが真っ暗な中で、声だけを頼りに励まし合おうとしたのに、母が死に、相次いで父が、そしてついには妹が…とうとう1人きりになっていく様子が語られる。文字で読んですら凄惨な景色が、茜さんの声で語られることでより強く胸を打つ。初日の衝撃は8公演を経ても変わらず、むしろ茜さんの表現に日を追って思いの強さ、感情の昂りが積み重なり、千秋楽でのこの独白、そして語り終えた彼女の放心したような、悲しげな表情が強く胸を打つ。
そしてそれぞれの家族の望まない形での再会の場面を経て、残されたもののやるせなさ、大切な人がなぜ命を落とすことになったのかという問いに…映画は原点に立ち戻り、実際の事故をなぞるようなラストシーンへと動き出す。
ボイスレコーダーに残ったやり取り、事故でなくなった方の遺した遺書、恐らくなされたであろう機内でのやり取り…現実のものを使用したセリフを積み重ねて、そして当該機は墜落する。
残されたものは「悲しみを抱きしめて生きる」しかない。二度とこのような悲しいことが起きないように、そのとき何があったのか、本当の原因はなんなのかという問いの答えを求めて事故を風化させない、そのために生きていく、遺族の思いを伝えて物語は終わる。
序盤から端々で「実際に乗っていたものが集まった」という旨のセリフがあり疑問に思っていたが、遺族の二度と事故を起こさない、その思いが犠牲者を集めて、あるいは集まって、もう一度事故をやり直すことで全ての謎を明らかにしたい、と起こしてみせた、ファンタジーの物語だったのだろう、と思った。登場人物たちは皆、実は事故による被害者、遺族であり、残されたもの、遺族のために事故を再現して見せようとしたのだと。「悲しみを抱きしめて」生きた35年に対して、改めて事故を風化させないこと、遺族の「もう一度会いたい」という思いに応えるために。勝手な解釈ではあるが、更に悲しみが募るし、被害者の無念と残されたものへの想いを感じた。
ところで、前半は幸せな家族の風景のコラージュ、後半は事故の描写を軸に主題が語られる…のだが、『幸せになるために』というタイトルでもあり、身近な、ささやかな日常、いつ終わるかも分からないそんな何気ない景色の中にこそ幸せがあるのだ、と改めて思った。(少なくとも自分にとって)本当のテーマは前半にこそあるのだ、と。
全編を通して、一番好きな場面があります。茜さんが本を胸に抱きかかえて出てきて、家族のことを語る場面。本が「(茜さん演じる娘)泉子を育てるもの」だと、ねだられるまま買い与える父親。「親ってそういうものだ」と、父親をくさす娘に母親が優しく語る言葉。結局「よくわからないです」と家族の大切さ、それに対する想いを、照れに任せて茶化してしまう、思春期ならではの少女の心象。それを表現する茜さんの表情や声、視線…。とても心に残りました。
福山家の家族は、おそらく事故被害者の中にも多くいたであろうひとつの典型として設定され、だからこそ特定のモデルとなる人物はなく、それ故に、自分の中では普遍的な幸せのひとつの形として、強く心を打つのでしょう。他の場面でも、舞台から捌ける時でさえ、皆柔らかい表情で言葉を交わし、「家族愛」そのものの象徴のように思えました。
千秋楽が終わり、帰宅してから関連の本をいくつか、電子書籍で購入(思い立ってすぐ手に入るのは改めてすごいことです)して読んだ。ネットを使って、改めて当該の事故にまつわる記事をいくつも読み、Wikipediaなどにも目を通した。事故が起きたその日からリアルタイムで経験した出来事であり、当時感じたこと、知らなかったこと、改めて思い出したことがあり、開演からの一週間がとても濃密なものになった。
長くなったけれど、もう少し。
応援している小泉茜さんのこと。
ずっとアイドルとしての彼女をみてきました。歌やダンスはもちろん、お芝居が本当に好きな彼女。過去にいくつかの舞台を観せてもらったけれど、そこには毎回、ライブのステージで見せるそれとは違う輝きを放つ彼女がいました。役者としての自分に誇りを持ちつつも、幾度も挫折を経験してきたことも聞いたことがあります。3度目のSTRAYDOGさんの舞台。初めての本公演。その舞台でとてもとても大事な役割、役どころをもらって、存分に悩んで楽しんでいた姿、とても美しかったと思います。
個人的な事情で今までのように彼女に直接会えて応援できる機会はぐっと減ることになります。それでもずっと応援したい、そう再確認することが出来た公演でした。
最後に。
久しぶりの舞台観劇だった。このご時世の中で、いくつか食指の動いていた舞台もイベントもなくなってしまった。今回、こうして全公演を観ることが出来たことが、これからまた普通の景色になるといいと思う。
出演者の皆さん、演出の方々、スタッフの皆さん。 劇場の関係者の方々。その他関係者の皆さん。
とてもいい作品に出会えました。 ありがとうございました。
(画像は小泉茜さんのtwitterへの投稿よりお借りしました)
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