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人生最初で最後の逃亡 25 years later.

10歳での逃亡以降、色々あったけど逃亡することなくなんとか人生やってきた私、その25年後くらいに、あの事件があったときの仲良し3人の女子のひとりH乃とSNSきっかけで、中学生以来に会うことになりました。それまで私はFBとかでも一切地元の友達との関わりをもっておらず、でもひょんなことから、H乃と繋がることになりましてん。私的には、ただのヌルっと相互フォローしとけばいいだろって思ってたんだけど、H乃がメッセージを送ってきたことをきっかけに、まぁ近況を軽くチャットで共有したりして、お正月実家に帰るときに会おうという運びに。

H乃は「FBとか嫌いだけど、ラジエル子とまた連絡取れるようになれたと思ったらそれだけでFBやってた意味あるよ!」と言ってくれました。H乃ってさっぱりしてて、天然のところがある優しい子だったよなーと思いだしつつ、小学生の頃しょっちゅう行き来してた彼女の実家(豪邸)を訪ねることに。行ってみると、広い庭とリビング、グランドピアノとか昔と全然変わってなくて、なんか懐かしい気持ちに。彼女は、1歳ちょっとの子供のお母さんになってたけど、全然見た目変わっておらず、今までどうしてたかとか、色々をお互い話してたら時間はあっちう間に過ぎていったのでした。

彼女は、大学卒業してアパレルの某外資のセレクトショップに勤務したけど、ある日大失恋したらしく、自分ってからっぽだなーとか思って自分探しの旅(笑、本人がこの表現をして失笑してたので)にサンディエゴに行って、そこで知り合った人と結婚することになったんだけど、彼韓国の人で、韓国の嫁と姑的な文化に打ちのめされて婚約期間中、鬱になって実家でしばらく静養していた話などを、ほぅほぅと興味深く聞きつつ、私もそれまでの色々を話しつつ、どのエピソードでもお互い「そーゆうとこあるよねーあなた」みたいな感じで話に花が咲きまくり。ちなみに彼女の旦那、航空関係の有名な会社の日本法人のナンバー2だったんだけど、気立てのいい子なのでそれも納得…。

そんな話をしていたら、H乃が突然

「そういえば今日ラジカル子と会うことになってから、これを伝えなきゃと思ってたんだけど、私とあなた凄く仲良しだったのに、あの時は無視したりしてごめんね…。旦那に、私こんなことしちゃったことがあってひどいよね…って話したんだよ、ほんとにあの時はごめんね」って言われまして。私ビックリ、だってさ自分が過去にしちゃった(しかももう25年の前のこと)なかったことにしたい人のが多いし、自分にとって都合の悪いことは忘れちゃう人がこの世のほとんどだと思うんだよね。その優しさってかまともさってか育ちの良さってか…品性ってか……に私感動しちゃったよね。その時初めて、ほんとに心から「全然いいよ、もう気にしてないよ」って思えたから、そのままそう伝えたんだよね。

そしたら、さらに続けてH乃は、
「私、今日ラジカル子と会って思ったんだけど、あなた小学生のころから話すことも、考え方も全然変わってないね、その当時私はほんとに子供子供した子供だったんだな~。当時ラジカル子の言ってることをほとんどわかってなかったってことが、今日よくわかったし、10歳やそこらで今と全く言ってることが変わらないあなた…そりゃあの頃のあなたを思うと大変だったよね。」って言うではないですか。しかも、H乃は自分にも娘が生まれてすごく考えるんだって。清く賢く育ってほしいけど、そうなってしまったら生きていくのに苦労するんじゃないかって心配もあるから、難しいよねって。なんて正直な女なの…H乃!!!!

なので、私も正直に答えたよ
「清く賢くのまま、自分を失わずにやっていくのはホントにイバラの道だよね……、確かに自分の子供にそんな苦労させたくないよね~~泣笑」って。25年経って、素直に謝罪されて、こんな話ができるなんて思ってもなかったし、期待してなかったからこそ、うれしかったなー。

そしてこれにて私の最初で最後の(多分ね)逃亡ストーリー、結びとさせていただきます。ちゃお。


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