飽きる
かなり昔の話だけど、とある駅でばったり昔の友達に出くわした。
進路をサッカーで選ぶほどそれなりにサッカーを一生懸命やっていた印象があったから、現在(と書いていまと読む)どうしているのか、まだサッカーを続けているのか、を聞いてみた。
その人はこう答えた
「サッカーはもう飽きたからやめた」
「あ、そうなんや。まあそういうこともあるよなぁ~。」
って返したけど、なんかモヤモヤモヤっとしたものが心に広がった。
…飽きるなんてあるか?
あんなに頑張ってたサッカーの何に飽きたのかな。
うーむ。わからぬ。
ふと、
サッカーのみならず、自分の場合は何に飽きるんかな。
と考えたときに、二つ答えが浮かんだ。
一つ目は、完全に極めたとき。
例えばゲームを全部クリアしてやることがなくなったら飽きる。
二つ目は、前に進めないとき。
数独で全然答えが思い浮かばなくて、飽きた!もういい!ってなる。飽きたという表現が正しいのかはわからないけど。
たぶんおそらくmaybe いや probably、彼は後者だと思う。
そして両方に共通して言えるのは、「変わらないこと」に飽きるということ。
ずっとナンバーワンに君臨して敵がいないなら飽きることはあるかもしれない。でも特にスポーツや仕事においては、自分より上、さらにまたその上のレベルがある以上、簡単に極められるものではない。行き詰まって進まないという状況が変わらないから「飽きた」という言葉で道を変える。逆に言えば進歩や新しい発見がある限り、飽きるなんてことはない。成長を実感できる限り、また次の成長を求める。
要するに、成長しないことに飽きたのだと思う。
ただ、どれだけ頑張っていても「飽きたな」「つまらんな」と感じることはある。
その時にまだ自分がそれを極めていないのなら、努力の方向を変えてみようと思う。
ただがむしゃらにやるだけじゃ報われない。正しい努力を正しい方向にしなくちゃいけない。
例えば読書を習慣にしたいとして、自分が苦手とかあまり興味がないジャンルの本を読もうとしても長続きしないから、まずは好きなジャンルから始めるのが良い、というように。この例えが合ってるかはわからんけど。
まあとにかく問題は成長しない自分の方にあるわけで。本当に好きなら「飽きた」なんて言い訳するより、別の視点からアプローチしてみるのことで成長を感じることがあるかもしれない。
??「中原中の12番!サッカー好きなら諦めるなよ」
ってね。
まとめ
人間が前向きに努力を続けるうえでは、成長を実感することが大事。「飽きた」と感じたら別の方向を考える。