無駄の効用
取捨選択
なんとなーくバスに乗らずに歩いてみたらおいしそうなパン屋さんを見つけたり、
何のつながりもなくなってた昔の友達と一緒に仕事することになったり、
青春を捧げたゲーム類を売りさばく時が来たり。
無駄っぽいこともいつか何かのきっかけで役に立ったりするもんだなあと。逆に言えば、今大切なものもいつかいらなくなるかもしれない。
そう考えると世の中無駄の方が多い。でもだからって切り捨てるんじゃなくて、ちょっとそっちも覗いてみようと思う。いつかいい道草だったと思える日が来るかも。
無駄と余裕
「無駄」ってなんか聞こえ悪いけど、「余裕」と似ている気がする。ていうか否定的か肯定的かくらいの差しかない。たぶん。
例えば15分前に目的地に到着したとする。
「15分余裕をもって着いた」と思う人もいれば、
「15分も無駄に早く着いちゃった」と思う人もいる。
15分が許容範囲なら「余裕」
予想と大きくずれていたら「無駄」
と感じるのだと思う。
要するに、考え方次第でどっちにも転び得る。
自分は旅行ではあんまりスケジュールを詰めずに、なにがなんでも行きたいところを何個か挙げて、最低そこだけでも行けたらいいやっていうタイプ。
一方で、せっかくの旅行なんだから細かくスケジュールを練って効率よく動きたいタイプの人もいる。
もし旅行中に大きい空き時間ができたら、前者は「余裕」で後者は「無駄」と捉えると思われる。
無駄が増えるより余裕が増える生活の方がなんかちょっと前向きになれる気がする。ゆるく生きる方が自分には合っているんだと思う。
とはいえ無駄は減らしたい
時にそれは時間で、交友関係で、お金で。余裕を持ちつつ、無駄にならないようにする必要がある。
10分前に着こうとするけど、道が混むかもしれないから余裕をもって出かけたり、朝早くてちょっとでもギリギリまで寝ていたかったり。結果15分前に着いたならもうちょっと遅くてもいいなってなるし、遅刻したなら寝てた時間いらんかったなってなる。
どうせ結果からしか学べないのなら、無駄っぽいことが無駄だとわかったことは無駄じゃないのかもしれない。次はその無駄を減らそうとできるから。
って考えたら無駄なことはあんまりないのかも。一時のそれはいつかのための引き出しで、考え方によっては「余裕」で、「学び」で。本質的に無駄を減らすと余裕も減ってしまうから、無駄を余裕に変える作業を頭の中でやっているイメージ。
無駄50+余裕50=100を
無駄25+余裕25=50にするんじゃなくて
無駄30+余裕70=100にしてる。
うーんこれは分かりづらい。
無駄っぽいことを減らせば減らすほど毎日充実していると思う。けど自分の場合、張り詰めた糸はいつかプツンと切れてしまいそうだから、緩めにのんびり生きたいや。
これ無駄じゃなかった!って答え合わせしながら生きるのもまあ楽しかったりする。
頭の中を言語化するのってやっぱむずいけどちまちまアウトプットして整理しときたい。