生きるとは、思うに任せぬもの、だからこそ。
どんな理由があっても、どんなに自分が100%正しいと思っていても、「争うこと・闘うこと・怒鳴ること・威張ること」は不正義。
怒った人は怒った瞬間に100%間違っている。
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怒鳴ったり、威張ったり、すごくきつい言葉を使ったり、イライラしたりする人には、その人格に「ちょうどいい」人しか集まってこない。
イライラさせる人しか集まらない。
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人を動かす、人に動いてもらう方法には3つある。
①強制すること
③やる気になってもらうこと
その間の②番目がフォーシング(forcing)
手品などでよく使われるテクニック。
例えば、トランプを差し出されて、「好きなものを引いてください」と言われた時に、自分では好きなものを選んだつもりだが、実は相手の思惑通りのカードを引かされている。
相手に選択させているように思わせつつ、実は自分の思う方向へ誘導していく。
潜在的に強制はしているものの、顕在的には相手に選択させている。
そうやって、人に選んでもらいつつ、少しずつやる気になってもらう方法を実践していく。
その「やる気になってもらう方法」とは、「『人が生まれてきた意味』というのは、周りの人たちから喜ばれる存在になることなんだ」ということを、一人一人が理解できるように、自らが実践してみせること。
周りの人に対して、ひどい言葉を投げかけない。
いつも穏やかで、温かくて、「人に喜ばれる存在」であるということを、まず実践すること。
〜小林正観さん〜
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【自分を1ミリ広げ、1ミリ受け入れる】
この世に、私たちは,自分の心を愛で満たすために、幸せになって愛を広げるために、他の人に何か貢献できる人になるために、修行に来ているといわれる。
修行というのは、自分の思う通りにいかないことをやり遂げていくこと。
この地上に生きている限り、すべてが思う通りになることはあり得ない。
いろんな対立があって当たり前、思う通りにいかなくて当たり前、それを乗り越えて、自分が少しだけでも、そうした苦しみを受け入れていく。
1ミリ受け入れることで、1ミリ社会に貢献している。
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人間の社会というのは,いろんな根源の違う人たちがいる。
同じ人間だと思っていたけれども、自分は「陸の上の猿」で、子どもは「海の中の鯨」だった、ということもある。
鯨に「陸に上がってこい」と言ったって、鯨は大きな胴体で陸には上がれない。
いかにお母さんが、「こうすればいいのよ」と言って、呼吸の仕方を教えたところで、鯨は陸で生きることはできない。
しかし、私たちはそういうようなことを、結構しているもの。
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私たちは一度に立派にはなれないが、自分の置かれた場で、ちょっと考えを変えることはできる。
物事を違う視点で見ることで、自分を広げることができる。
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子どもを育てるということは、子どもが自立していくこと、親も自立していくこと。
お互いにそれぞれ違う人間として幸せを味わい、そして、お互いに幸せを分かち合えるようになることが、生きる目的でもある。
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ちょっとエネルギーがあるときに、人に優しい言葉をかけたり、どの人の中にも良いことを見出すような目を育てることが大事。
〜鈴木秀子さん〜
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今日はお仕事で飯能へ。
帰りに阿里山カフェに寄って、美味しい玄米パスタをいただきました✨🍝
ポロポロと食べにくかったですが、おいしかったー✨
こういうお店が近くにあるといいなぁと思った時間でした💡
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生きるとは、思うに任せぬもの。
ままならぬものだからこそ、いろいろ学ぶし、いろんな感情を味わうことができますね。
特に、身近な家族ほど、どうしようもないもの。
イライラが湧いたり、コントロール願望が出てしまうもの。
だからこそ。
怒りの根っこにある期待や願い、理想を穏やかに伝えて、何よりも、存在に感謝して生きていきたいものですね。
ますます豊かな日々をお過ごしください✨