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みんな手持ちの駒の数は同じなんじゃないか説

人に対して“すごい”って言葉を、わりに安易に言ってしまってたなあ、と思う。
その人と自分の間に、ぴーっと線を引いてしまうような“すごい”を。

KingGnuというバンドに、常田大希さんという人物がいる。
なぜ突然に彼の名前を出したかというと、ハマっているからである。
なんて明白でわかりやすい回答。

去年の春にこのnoteで出会って、ワナワナして、LIVEで聴いてみたいなあ…!!と思いながら、ぽつぽつと曲は聴いてた。
なんか変幻自在で洗練されてて重厚で王道とは一線を画してるんやけど平たく言うとまあ、めたくそかっこいいなって。

そんな彼らがつい先日の情熱大陸に出とって、ほええ、大人気なんやなあと視聴。
あ、え??ちょ、待てよ、KingGnuなんかイケメンおるやん。なんか、え、スカしたことをサラっと言うなあ、くらいの感想を抱いたわけさ。
そのイケメンが、つまりは常田さんで。

そんでやな、つい最近、Twitterにこういうのを見かけまして。
え?なに?このふたり、なにしとるん?なるやん。

(先に断っておきますけどこれの3:15以降のところは全国民悶え案件やから見たらしばらく頭から離れへんし何も手につかへんしため息出て胸が痛いってなってチリチリ焦がれて繰り返し見続けることになるから以下略)

とりあえずこれはラジオ聴かなあかんやん!!!!!ってなって眠りこけてる瞬発力を叩き起こしてradikoを起動して全編聴いたやん。
え、なに、あの繊細な歌いだしのボーカル井口さんってこんな人なんですかaikoを待ってそわそわして熊みたいな風貌で手づくりシュークリーム渡してさらっとアレルギーない?とか訊いてすきだとか叫んじゃう人なんですかなるやん。
いきなり溢れ出る愛しさ純度100%ピュア。

取り乱したぜ…(ハァハァ)。

まあ、そういう経緯を経て、KingGnuのメンバーに興味が湧いたん。

常田さんについて調べてみるとさ、まあそれはそれは神々しさを増すエピソードの出てくること出てくること。
KingGnuの作詞作曲編曲にソロプロジェクトにクリエイティブチーム主宰していて、過去には東京藝術大学でチェロ専攻していたとか受賞歴があるとか、ベース奏者としても受賞歴があるとか、合唱コンクールで受賞歴があるとかまあググるといろいろ出てくるわけやん。
いつもありがとう、グーグル先生。

表面だけを撫でた話であろうことは承知の上やけど、ああ、クラシックを中心にロックとは別軸の音楽的バックボーンがあって、楽器もギター以外にベースもチェロも一流で、R18禁にしたほうがよいのでは級のエロスな声という武器も持ち合わせているわけか、という理解をして、そりゃあつくる楽曲に厚みがでるわけや…ってふんふんなるわけで。

いや、もう、すごい。

人の時間は24時間365日でみんな平等。
でも自分より抜きんでた人を見るとさ、なんとなく言い訳したくなる。
自分の頑張りたい分野に関すると、それは顕著で。

音楽一家で英才教育が受けられる環境やったんやもんね、遺伝子レベルからもう違うよね、周りに切磋琢磨して理解し合える人がいたんやもんね、とかとか。
そういう、才能とか幼少期の環境とか、自分ではどうしようもなかったでしょ、みたいな部分を取り上げてそれがあるからすごくなれたんやんなって、確認したくなる。
そもそも持ってる駒が多かったんやろう?って言いたくなる。

たしかにそういう場所に駒を置きやすい、っていうのはあるんかな。
でもたぶん持ってる駒って、だいたいみんな一緒なんじゃないかな、って最近は思う。

だってその後ろ側を想像してみるとさ、チェロを弾く時間をとったら友達と遊ぶのに時間を割けへん、とか。寝るとか食べるとかの日常生活をおろそかにしてて、身体をじわじわと削ってる、とか。自分と同じレベルで音楽のことを話せる人がおらん、っていう苦悩がある、とか。情熱のすべてを音楽に傾けているせいで、いつも心ここにあらずで、目の前の女性を大切に出来ひん、とか。でも女だけは寄ってくるから、刹那な関係を繰り返してる、とか。ウフフ…。
あ、ごめん、これは全部妄想、真実は知らん。
真実は知らん、けど、なんだかそういったものが渦巻きながらここまで来てるってことは、おそらく確かなんじゃないかな、という想像力は働く。

つまりはさ、何かをとると何かを捨てなあかんのよな。
何かに抜きんでているような人って、手持ちの駒をさ、その抜きんでている部分にガッツリ注ぎ込んできたってことなんじゃないかなって。
どこかを削ぎ落すという英断をしてまで、そこに注ぎ込めたっていうことこそがすごいと讃えられるべきことなんじゃないかと。
それを努力と呼んだり、呼ばんかったりするんやろう。
それが出来るのをやっぱりすごい、って言うとは思う。

でもその“すごい”は、きっとこれまでの“すごい”ほど突き放したものじゃない。
“駒の数が違うんやからもうわたしとは違いますねすごいですね”と“そうか持ち駒をそこに注ぎ込んだんかあやるなあ”っていう違いがある。

こういう場面になると自分はそうじゃないから、っていう無駄な傷つきかたをしていたけど、そういうのももうない。
だってみんな持ってる駒の数は一緒で、自分はその分の駒を別の場所に使ってて、その分の違う経験をしとるってことやから。

人間全員が、同じ土俵の同じ目線におる。

KingGnuさんと同じ土俵とか言うてごめん、ちなみに別に音楽やりたかった人でもない、じゃあなんでそこを引き合いに出してきたんやっていう質問はそこのロッカーに放り込んで鍵かけといて。
ハマってるから、ただそれだけ。

育休があけて、もうすぐ1年。
仕事の日は想像以上に身も心もくたくたになっとるし、休みの日は子ども達とわちゃわちゃしたり、仕事の日に出来ひん家事や雑用をして過ごすと、1週間また1週間と日々が早送りみたいに過ぎていく。
駒は家のことがスムーズにまわるように、子どもが笑顔でおれるように、自分自身が元気で過ごせるように、そういうことに注ぎ込んできた。
おかげで、今、家庭の中はぽかぽかしてる。
それでようやく、ちょっとだけ、他のことにもまわせるんじゃないかなあ、っていう気がしてきている。

この駒を、さて、どこに置こうか。
あれもこれも、やりたいことはたくさんある。

なんやかんや言って、わたしはわたしのことが好き。
そう胸をはって言えるような、駒の置き方が出来たらいいな。

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麦酒 ゆみ(ゆみっぺ)
ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。